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[キーワード'90〜写真を読むために12:鑑賞/日本カメラ1990年12月号:138-139]


 作品を見ると言うとき、おうおうにして私たちは見る対象としての作品それ自体を想定しがちであり、また作者→作品→鑑賞者という図式を暗黙のうちにそこに置いていることが多いように思われる。そこで前提とされているのは、作品があらかじめしかるべき意味をそなえた事物であり、見る者はその意味の範疇で受動的に作品の意味を受けとるという、安定した鑑賞の関係性であろう。しかし、何かを見るということを反省的に考えてみるならば、見るという行為はそのようにたんに見る対象に従属した営みでのみあるわけではなく、常にその行為のうちに何らかの価値関係をひそめた能動的な営みであることに私たちは気づかないわけにはいかないだろう。それは、私たちが何かを見ると言うとき、そこではすでに見るべき〈何か〉が想定されているということ、つまりその何かとは決してア・プリオリに存在しているわけではないことを思い起こしてみれば充分であろう。例えば、具体的場面において考えてみるならば、展覧会で見るある一つの作品がまた違った場面に置かれるならば、全く同一の作品であってもそれについて異なった印象を受けるように。あるいは、同じ展覧会であっても異なった関心をもって見るならば、また違った印象を受けるように。すなわち、私たちが何かを見るときには、事物を個々ばらばらに見るということは決してありえず、常に何らかの意味を有する構造化された関心によって見る対象をみちびき、そしてまた見ることによってたちあがる意味によって新たな関心の構造を形作っていると考えられる。そしてそのように考えるならば、見るという行為は、見る対象に従属した営みであるというよりも、むしろ見る対象を見い出だし逐次意味の網の目に織り込んでいく契機そのものともいうべき能動的な行為であり、対象=事物・作品は見られるまでは鑑賞者にとっての実在性をもつことはないのだと言えるだろう。
 このことは、何かを鑑賞するということが限られた特定の人々によってのみなされるのではなく、またある意味を受けとるためにのみなされるのでもなく、今日ではむしろ鑑賞者がさまざまな展覧会や本をさまざまな関心から見ていることを考えればいっそう明瞭である。そしてこのことに関しては、写真も決してその例外ではありえないだろう。つまり今日では写真においても、作者→作品→鑑賞者という図式にそって鑑賞の関係性を捉えることの有効性はすでに失われてしまっているのではないだろうか。
 作者→作品→鑑賞者という図式を安定したものとして機能させ成立させているのは、作品をあいだに置いた創造/享受という対概念にほかならない。そうした対概念に支えられたところにある関係を、鑑賞者の反応の場があらかじめ規定されている「閉じた」関係と考えることがきるだろう。写真の文脈で言うならば例えばルポルタージュ、ドキュメンタリーなど、意味を受けとる場の設定があらかじめなされているものがそれに当たるだろう。それに対して、作品が意味を生みだすために、そして意味が生みだされる場をもつために鑑賞者の協力を必要とするものを「開かれた」関係と考えることができるだろう。「開かれた」関係においては、鑑賞者が見い出だす意味によって作品との関係性が逐次形成される以上、鑑賞することとは意味を受けとることであると同時に意味を作り出すことでもある。そしてそこでの意味生成において、限りなく解消されていくのは創造/享受という対概念そのものである。今日、写真を創造/享受という対概念において捉えることが有効性を失っているとすれば、写真の文脈がある時期に「閉じた」関係から「開かれた」関係へと移っていったことによってであるに違いない。そうした移行は、日本においてはグラフ・ジャーナリズムが社会的に衰退していった70年代以降(プロヴォーク以降)の写真において見い出だすことができるように思われる。なぜなら現在からふりかえってみると、いっけんすると個別的に多様な試みがなされていたようにみえる70年代の写真の多くが、じつは共通の奇妙な問いの形を抱えこんでいたと思われるからである。その共通の問いの形とは、一言で言うならば、写真(あるいは写真を撮る私)について考える装置としての写真に出会うことによって、不可避的に自己言及的な問いの圏内で写真の文脈が織り成されはじめたことにおいて見い出だされるものである。
 例えば、それまでのキャンデッド・フォトと異なり対象との距離を置きながら日常的場面を写すことが写真家のリアリティをつかみ、「コンポラ」と呼ばれるような共通性を持ったのは、たんなる画面上のスタイルの流行によってのみではあるまい。「コンポラ」の写真のスタイルが、透明に対象を表象することのアクチュアリティから離れることの方法的なものである以上、対象に従属していた問いを写真の構図において(つまりは写真において)問うことを不可避的に呼び起こし、そこでの写真は〈私が撮る写真〉についての問いにつきあたらずをえないだろう。この時代の写真家をとらえたのは、そうした問いの形のリアリティにほかならないように思える。また70年代には、「私性」をめぐった写真あるいは論議を多く見ることができるが、それらの多くが〈私と写真についての物語〉をめぐっていたことを考えれば、それが意識化されたか否かは別として同時に自己言及としての物語がたちあがっていたと考えても不思議ではない。あるいはこの時期に登場してくる自主ギャラリーという形態についても、そこに展示されていた写真については保留にしておくとしても、写真のギャラリーを写真家自らが運営するという制度的枠組みにおいて、同様に自己言及性を見い出だすことができるように思われる。むろん、ここでの考察は個別的な問題がどのようにして自己言及性につきあたったのかを考えるには性急で粗雑にすぎるものであり、また、それがどれほど意識的なものとして捉えられていたのかということについてはまた別に考察される必要があるだろう。だが、ここで重要なことは、70年代に写真の自己言及が写真の文脈の不可避的な問いとして浮上してくること、つまりこの時代に作者が自身の作品を対象化してさらに語りはじめることにより、創造/享受という整合的な対概念そのものが浸蝕されはじめ、写真が「開かれた」関係において思考されることによって、誰一人として逃れることのできない問いとしての写真のメタレベルが不可避的にたちあがってくることを見ることである。
 したがってこの時代以降の写真、すなわち80年代以降の写真の状況をふりかえってみる場合、メタレベルにおいての写真がどのように取り扱われていたのかを考えることが、何よりも重要であると考えられる。写真がメタレベルの問いを不可避的に抱えもったということ、それは言い換えるならば、かつてのように安定した作品/批評(創造/享受)の関係がいくつかの文脈を形作るのではなく、批評が作品に溶解し、写真と言語の関係の場が写真のディスクールとして機能しはじめるということである。そうした写真のディスクールにおいては、どのように組織化された写真についての問いにしても、それがメタレベルの問いにおいてのものである以上、それは常に後続するメタレベルによって問いただされずにはおかない。これは、私たちが写真を見てそれについて何かを語るとき、それをどのように整合的に語ろうとも、決して後続の発問に無傷であるような立場を保持することができないことを意味する。「開かれた」関係とはよく言われるように、伝統的な領域性が解体することによって表現が呪縛から解き放され自由に機能することの無限定な保障では決してない。それは、作品/批評が絶対的根拠として参照しうる地点を失ったがゆえに、領域性を基に何かを作り/語ることが公準たりえなくなったことを意味するにすぎず、また、いかに自らの根拠を形作ろうともそれが仮説としてしか機能しえないような過酷な領域へと表現の問題が移行していったこと、すなわち従来的な意味での制作や批評が成立しえなくなったことを意味するのみである。これを、根拠を明確に語ることの不必要性と取り違えるならば、領域的思考は写真のメタレベルにおける閉域、つまり相対的な差異による価値の審級によってのみ編まれる制度的ディスクールとしてやすやすと生きのびるであろう。80年代に入ってから今日にいたるまで、多様な写真表現・ポストモダン的写真表現といったスローガンが飛び交っているにもかかわらず、結果として一元化されてしまったディスクールになぜ私たちがつきあたってしまっているのかということを検討することは、これから充分に考えられるべき課題であると思われるが、その理由のひとつとして、メタレベルでの表現の制度的問題を意識的に回避し、実在としての作品、つまり見えるもののディスクールの多様性を写真のディスクールにおいての多様性と混同したことがあるように思えてならない。80年代的なディスクールの一元性は、作品/批評の関係の絶対的な対称性によってコンテクストが「閉じた」関係において編まれるということにおいてではなく、むしろそのなしくずし的な開かれ方において批判されるべきものであろう。
 語ることが目的論的配置を避けられないことを考えるならば、写真表現に関わる一個人が写真のディスクールの多様性それ自体を見渡し語ること、ましてやそれを実現することなどありえない。いかに今日の写真表現が「開かれた」関係にあろうとも、そこに写真のディスクールを織り成す作品/批評に例外なく埋め込まれたメタレベルとしての鑑賞における読みの争異が不在であるなら、根拠を失ない浮遊する創造と享受が制度的ディスクールを構成し、多様性を語ることのもとに相対的な差異による価値の審級を編み上げていることを隠蔽する従来的な作品/批評がなしくずし的に生きのびるのみである。だが、写真のディスクールの多様性とは、決してそのような無際限に意味の浮遊する空間によってもたらされ、写真表現に関わる一人一人が浮き浮きとそれを語りうるようなたぐいのものではないだろう。むしろそれは、いくつもの通約不可能な読みが内的な自律性をもち互いのテクストを傷つけずにはおかないような地点にまでつきつめられたときにはじめて浮かび上がってくる、苛酷な差異の現実性にほかならないのではないだろうか。