texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[キーワード'90〜写真を読むために9:写真と美術/日本カメラ1990年9月号:130-131]


 写真と美術との関連について考えることは、写真と美術の差異と同一性について考えることにほかならないだろう。その差異については、写真が基本的に機械によって作られることからみても、いっけん自明のもののようにも思われる。ところが、ひとたびその差異の根拠となっている、機械による表現としての写真の性質について考えはじめると、写真は美術とふたたび折り重なってくることになる。そこで浮かび上がってくるのは、機械と手といった対立項としての写真と美術の相対的な違いから生じる差異ではなく、両者が互いに折り重なり合うなかで見い出される差異と同一性である。
 今日では、写真も絵画(具象的絵画)も、具体的な対象としての世界を一つの視覚的な平面に置きかえると同時に、世界のある部分を時間的・空間的に切りとることに変わりはない。すなわち、平面への還元と断片化によって世界を記号化することに違いはない。だが、世界の平面への還元と断片化が手によってなされる絵画では、世界と描かれた画とのあいだに必ずそのための何らかの様式(モデル)が存在する。つまり、絵画では様式において記号化の操作がなされるわけである。いっぽう、写真に特質的なことはその操作が機械的におこなわれることである。世界の平面への還元と断片化が機械的になされるということは、記号化のための様式をもはや必要としないということである。様式に記号化の操作が従属する絵画では、実在の世界があるモデルによって記号化され平面に還元されていると考えることができるが、写真においての画像は、世界との結び付きを示すモデルを欠いているがゆえに、すでにそれ自体としてある種の意味機能をそなえていると考えられる。それは、様式に記号化の操作が従属するのではなく、逆に記号化された世界から様式が見い出されることにほかならないだろう。そこではもはや、現実が実在であり画像はその写しであるという区別による世界像の把握は成立しえない。画像は実在の世界を様式によって秩序化する世界の表象であることをやめ、世界を記号化し、そして記号化された世界が意味の網の目を世界像として織り成しはじめるのである。
 むろん、こうした認識論的布置の変容は写真によってのみもたらされたわけではなく、それを体現するもののひとつが、写真術の誕生という出来事であるにすぎないだろう。というのも、実在の世界を透明に表象するということが、世界を象徴(聖域化)されたものとしてとりあつかうことにほかならなかったそれまでの古典的芸術においての象徴機能を、記号化が侵害しはじめていたという認識論的布置の変容は、19世紀においてすでに生じはじめていたと考えるられるからである。
 一枚限りのダゲレオタイプの時代から複製可能のカロタイプの時代を経てもなお、19世紀の終りまで写真は美術(絵画)のあとを追っていた。記号化が機械によってなされる写真に向けられた、想像力の欠如などといった批判に対して、絵画的写真があらわれることがそれをよくしめしているだろう。そこでの写真の絵画化とは、写真を絵画に似せることによって、記号化された画面をもう一度様式に従属させるための方法である。それは、様式化されることなく記号化された画像にもう一度様式を与えることによって、実在の世界の表象としての画像という19世紀において支配的な認識論的布置を回復するための操作であったと言ってもよい。しかし、こうした操作があまりリアリティーをもちえなかったことは、絵画においてもすでに様式が記号化されつつあったことを意味しているにちがいない。それは写真がカロタイプの時代に入ってまもなく、社会的機能を果たしえていることからもわかるはずである。19世紀の後半には、フランスの歴史記念物委員会が写真による記録事業を計画し、またアメリカでは地質調査局が写真による記録の利用をはじめている。そこでは実在としての世界を表象するために写真が撮られるだけではなく、記録された世界=写真によって世界を編み変えるために写真が撮られている。つまり、ここでの記録とはまさに記号化された世界の別名であると言えよう。それが公的な機関によってなされはじめたことからもわかるように、写真のこうした記録の概念が、写真を撮る側から発生したのではなく、写真を利用する側から生じていることは重要である。写真が誕生してまもなくこうして社会によって利用されたということは、そこにはすでに記号化された世界の存在が生じはじめていたことを裏付けていると考えられるからでる。
 19世紀の芸術においては、写真が美術からの批判にさらされ、両者がいっけんはげしく対立しているかのようにみえる。しかし、このように考えるならば、それは認識論的基盤を同じくしているがゆえの対立である。そしてじっさいに、世界を記号化する機械としての写真の機能が芸術において具体的に引き出されはじめるのは、20世紀をむかえ、古典的な芸術の枠組みを支えてきた絵画の象徴機能が疑われはじめた時代においてであると言えよう。20世紀にはいり、写真は古典的芸術の領域からしめだされると同時に、ダダイスト・シュルレアリストなど反芸術の美術家によっていちはやくもちいられはじめる。それはたんに、美術の対立物であることから写真が彼らの表現に適していたからというだけではないはずである。その背後には、写真が古典的芸術の領域からしめだされた理由、すなわち、聖域化された芸術を支える象徴機能の解体を、写真という認識論的装置自体が体現していたということがあったに違いない。また、こういったことは古典的芸術を支えてきた観念自体の変容の顕在化であり、それを社会的な認識論的布置の変容を抜きにして考えることはできないだろう。
 このような世界の記号化の進行があらわになるにしたがって、美術は世界の象徴としてではなく、様式化によってその自足性を獲得していくようになる。すなわち、構成要素を分節化(記号化)し、それを様式によって構築するところに自足性を見い出していく。絵画に例をとるならば、自然の再現という概念を退け、色と形によって平面を構成していくようになる。この時代以降では、いかにそれが世界を象徴しているようにみえる絵画であるとしても、それは美術家が主体的に選び取った様式によって構築されたものであると考えることができるだろう。そこでは、作るものそのものが世界を指し示すことはもはやありえず、抽象化をくぐらずに作ることは成り立ちえない。いっぽう写真は、そうした美術の文脈から直接的・間接的に影響を受けるとともに、社会的機能も同時にもちえた。それは、簡単に括ってしまうことはできないにしても、美術の文脈からの概念を写真に適用しながらもそれが断片的なもので終わってしまったり、また写真が社会的な要求によって充足していたこともあり、写真の自足的な理路が求められることが容易にはその持続的な展開に結び付かなかったことを意味しているように思われる。また、記号化された世界という抽象性を、世界を記号化する装置としての写真がめぐるという二重性に由来する困難も、そこにはあったに違いない。こうした背景を考えてみると、写真という文脈のなかでようやくその自足的な理路が求められはじめたのは、記号化する装置としての社会的有効性が他のメディアによって乗り越えられたことが明らかになった1950〜60年代、あるいは写真が美術という制度に位置付けられはじめた1970〜80年代に入ってからであると言えるかもしれない。
 現在写真は、記号化する装置としては古びたものであり、また他の映像メディアに比べるとはるかに映像自体の物質性をそなえている。だが、だからといってそこにふたたび象徴機能(聖性)を見い出していくような姿勢は、世界自体が記号化され意味の網の目を織り成している現代においてそれがじっさいにはありえないことである以上、写真が写真以前に遡ろうとするような逆行でしかないだろう。また、記号化された世界という抽象的な位相での問いをめぐらずに、写真の独自性をいきなり措定することやその枠組みからの離脱を主張することを繰り返すことで、写真という文脈が形成されていくことは、いっけん写真の可能性をふたたび問うているかにみえて、かならずや自己充足的な文脈を形成することに帰結するほかなくなるにちがいない。そして、今日において写真と美術の「境界」や「交流」が言われるとするなら、たんなる枠組みの重なりと隔りにおいてのみではなく、写真と美術の差異と同一性が記号化された世界という抽象性において再び思考されているのでなければ、その「境界」や「交流」は架空の場を設定する空虚なものに終始するにすぎないように思える。

[注]ここでは、コード化の根拠を欠き、恣意的・感覚的に「意味するもの」に関係づけられるものを、〈記号化〉されたものと呼んでいる。また、文中でも述べているように、視線のたっしえないところ(=聖域)に秘める聖性を表象するものを、〈象徴〉と限定して呼んでいる。したがって、〈記号化〉されたものが「意味するもの」に関係づけられることによって生じる象徴機能については、〈象徴〉と区別して考察される必要があると考えることから、ここでは言及されていないことを明記しておこう。というのも、そうして生じる象徴機能が表象するものを、ふたたび“聖性”と見なしてしまうことに疑問をもつからである。