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[キーワード'90〜写真を読むために7:スナップショット/日本カメラ1990年7月号:144-145]


 写真機材の進化は、写真表現との密接なつながりをもっている。かつては不可能であったことが可能になること、それは、技術的困難の克服を意味するだけではなく、同時に表現の場の変容(「進化」ではない)をもたらす。むろん、すべての機械の進化が表現に不可逆的な影響を与えるわけではない。重要なことは、技術と密接なつながりをもってきた写真が、どこでどのような表現の場の変容をむかえているのかを見きわめることであろう。さもなければ、私たちはいたずらに機材の変遷を追うことで、表現においても安易な「進化」の観念に陥るだろう。
 1925年に登場した35ミリ判フィルム使用のカメラ“ライカA型”は、たんに写真機の機動性・迅速性を大幅に向上させる契機となったという意味で画期的であるというだけではなく、表現においても画期的な変容の契機をそなえた機械であったことは疑いないだろう。ここにおいて、それまで世界と私とを結ぶ機械であり、両者のあいだに固定されていたカメラ・オブスキュラが、撮る主体とともに動きはじめる、−−スナップショットという技法のはじまりである。動くカメラ・オブスキュラ=スナップショットは、表現の場にいかなる変容をもたらしたのだろうか。
 近代社会の成立は、視覚を優位においた主体−客体の二元論によって支えられている。いいかえれば、主体の全体的な身体感覚によって把握されていた世界が、対象化された世界(=客体)として措定されているのが近代社会である。そしてこの対象化された世界という存在によってはじめて、客観的再現という概念が成立する。ここにおいて表現は、主体との相即的な関係としてではなく、ある一定の客観世界の再現方法として、すなわち、送り手と受け手とを結ぶ媒介=メディアとして機能することになる。遠近法による客観的再現を保証するカメラ・オブスキュラ(=写真術の概念の誕生)は、まさにそうした関係を具現化したような装置といえよう。暗箱の写真機から世界の再現を覗き定着する撮る主体、それはまさしく近代的主体そのものであるといってよい。ここでの撮る主体=近代的主体とは、世界から措定される最大公約数的な主体であり、すべての個人がそれを適用され、それに従属する規範的形式としての主体である。しかしそれは、世界に対しての主体=対象化され一般化された〈私〉であり、そこでは、主体化からつねにこぼれ落ちる自己=一般化に帰属しえない〈この私〉が抜け落ちている。
 スナップショットを単なる「進化」した技法として捉えるかぎり、それは撮る主体の拡張にすぎない。じじつ、“ライカ”を契機として生産された小型カメラは、高感度フィルムとの組み合わせによってその後、あらゆる世界を採集しうる簡便なカメラ・オブスキュラとして使われている。例えば、グラフ・ジャーナリズムをはじめとする報道写真はその典型であろう。しかし、スナップショットという技法は、撮る主体の拡張を保証すると同時に、それが動くカメラ・オブスキュラであるために、その技法の内に撮る主体の解体を不可避的に引き出してしまう方法でもあるとは考えられないだろうか。
 暗箱の写真機の背後に立つ撮る主体はきわめて安定した存在である。撮影者はまさしく見ている〈もの〉=対象化された世界を写真に収め、世界を再現するのであり、その意味において撮影者は対象化された〈私〉であり、近代的主体との同一性に保証された存在である。だが、小型カメラはその携帯性・迅速性から、見ている〈もの〉のみならず、そのいっぽうで見えている〈こと〉をも同時に写しとってしまう契機をそなえている。小型カメラの携帯性・迅速性は、対象としての世界を撮ることと同時に、とりあえず撮っておく・同じ対象を幾枚も撮っておくといった行為を可能とし、おのずとそこに撮る主体の自己目的化(=撮るために撮る)が生じ、それが撮る主体の自己言及を引き起こさずにはおれないからである。したがって、スナップショットという技法によって撮る主体は、自らが選択し撮影した世界の再現としての写真(=〈もの〉化された世界)の内に、見ていた〈もの〉のほかに、見えていた〈こと〉をも見てしまう可能性をつねにはらんでいる。見えていた〈こと〉が具体化され、それを見てしまうこと、それは、近代的主体=撮る主体が自らの行為の内に、対象化されえぬ主体=主体化からこぼれ落ちる自己を見い出すことにほかならない。いいかえれば、撮る主体の不安定さの内で、そうした主体の引き裂きを不可避的に呼び起こしてしまう方法がスナップショットだといえよう。
 むろん近代的な撮る主体は、スナップショットという方法における主体の解体を回避する術を同時に見い出してもいる。例えば、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)はスナップショットという技法を方法化して用いた一人であるが、彼は写真に定着された見えていた〈こと〉を「決定的瞬間」としてさらに〈こと〉化したうえで、ふたたびそれを〈もの〉化する。そうして、見えていた〈こと〉が回収する場が措定され、撮る主体は解体を生き延びつつ自らを逆に補強する。個人が自ら能動的に主体を選びとり、自己を統御・錬成する営み、すなわち主体的表現・自己表現が見い出されたのである。むろんそれが、巧妙化した主体−客体の二元論であることはいうまでもない。その意味で、スナップショットから見たブレッソン以降の写真史は、主体の引き裂きを呼び起こす方法を用いながら、そのいっぽうでそれを近代的主体に回収し撮る主体を補強する術を発見していく歴史だといってよい。のちのコンテンポラリー・フォトグラファーズの登場の布石として機能したロバート・フランク(Robert Frank)の写真は、よくプライヴェートといった言葉で形容される。むろんここでのプライヴェート(個人的)とは、一般化に帰属しえない〈この私〉のことだろう。しかし、それをパブリック(公的)に対置してしまうことで、写真においての〈この私〉そのものがさらに〈こと〉化され、撮る主体の内に主体−客体の二元論を組み込んだ、主体化からこぼれ落ちる自己をもれなく拾い込むような超越論的な主体がたちあがる。それは、世界をもれなく採集する撮る主体への批判の内で、直接的にはけっして批判されえない構造を構成していくことで補強されていく近代的主体である。つまりここでも、見えていた〈こと〉そのものを問題としようとするあまり、それを超越論的な場でさらに〈こと〉化してしまい、見えていた〈こと〉そのものが〈もの〉化されてしまっているのである。
 そうしたスナップショットの歴史は、コンテンポラリー・フォトグラファーズを経過して、今日まで続いている。オリジナル−コピーの二項対立に基ずくアウラを放逐するのが写真という複製技術であるというヴァルター・ベンヤミンの指摘の傍らで、写真が美術館・ギャラリー・写真集などの中でやすやすと古典的な礼拝的価値を手に入れているように、スナップショットによるたえまない主体の解体の契機の傍らで、撮る主体はその主体批判的性格を逆手にとることにより、やすやすと超越論的主体を手に入れている。
 だが、私たちはここで、そうした超越論的主体に見えていた〈こと〉が回収されるのを回避しつづけることで、回避しえぬ主体の引き裂き、そして主体化されえぬ自己=<この私>を写真において露呈しつづけた稀有な写真家、ゲリー・ウィノグランド(Garry Winogrand)を思い起こすべきであろう。スナップショットを手掛けた多くの写真家が、見えていた〈こと〉をさらに〈こと〉化しようとするあまり、結局はそれを超越論的な場でふたたび〈もの〉化し回収する術を見い出すのに終始することになり、いっけん写真の内在的問題をほりさげているようにみえながらも、結果的には写真の〈こと〉的な場から離れていったのに対し、見えていた〈こと〉が写真において〈もの〉化される位相に徹底して踏み止どまることにより、〈もの〉化されえぬ写真の〈こと〉的な場を浮きぼりにする方法としてのスナップショットを反復し・徹底化する方向へと向かい、撮る主体の引き裂きを写真において浮上させることで主体的表現から遠く離れていった彼は、逆説的にもスナップショットを手掛けた写真家のなかでもっとも「写真家」と呼ばれるべき存在であったように思えるのだが。