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[キーワード'90〜写真を読むために6:写真史/日本カメラ1990年6月号:140-141]


 この連載でこれまでに幾度か、歴史・歴史化といった言葉を批判的に用いてきた。ここでまず確認しておきたいことは、その対象としてきたのは、あたかもそれが中性的(客観的)視点によるものであるかのように装った、一義的解釈に基ずく序列による歴史の記述、すなわち、その記述によって公然と、あるいは暗黙のうちに写真の伝統化(=固定化・閉塞化)がなされるような言説であるということだ。そして、もう一方で、歴史的言説に限定するまでもなく、あらゆる言説は宿命的にいまについて語ることはできないということである。言いかえれば、読み・語ることは常に事後的であるがゆえに、出来事を必ず歴史化するということだ(その意味で、出来事を歴史化せずに語る方法があたかもどこかにあるように想定することで、歴史的記述そのものを退けることが可能であるように思い込むのは馬鹿げている)。
 これらのことを踏まえたとき考えなければならないのは、なぜこれまで写真においての歴史の考察が、かくも歴史化と伝統化がよりそったかたちでしか書かれえなかったのか、ということであろう。前回も述べたように、読み・語ることには中性的視点など存在しない。だとすれば、ある一定のパースペクティヴによって書かれた歴史とは、誰による・誰のための歴史なのか、いったい誰の関心(=利益)に奉仕しているのか、という問いが当然浮かび上がってくる。ある写真史の記述が、社会においてどのような関心に対応しているのかという問いは保留にしておくとしても、写真を限りなく閉ざされた方向に向かわせようという関心において、あえて写真史を書く者はおそらく誰もいないだろう。にもかかわらず、写真自体に焦点を絞って記述されているように見える写真史ほど、写真という表現全体を囲い込み、写真を窒息させるような役割を結果的に果たしてしまっているというのはどうしてなのだろうか。あるいは、そのことに気付かなくさせている要因はどこにあるのだろうか。それを考えてみるには、まず、写真を語ることの条件とでも言うべきものを考察する必要があるだろう。
 写真が何かを再現(=表象)するのは、写され定着された対象そのものに類似していることに由来する。類似しているということ、それは直接ものを指し示し、肯定(=断言)する言葉と重なり合う。だが、言葉によって写真を語るとき、それは言語という関係の網目における差異によってである。そこにあるのは、写真は類似によって示され、差異によって語られるという関係である。それは、写真について語るということが、語っている写真そのものを言いあてるということと、決して同じにはなりえないことを意味している。ということは、写真と言葉が融合することなどありえず、写真と言葉の間には何らかの従属関係があるのみであり、また、そこには、その関係から生まれる両者の比重の様相とでも言うべきものがあるのみであると言えよう。写真について考え・語るには、写真と言葉が相互に干渉することが可能である共通の場、そうした関係を考察しうる外部が不可避的に必要とされるわけである。かつて書かれた多くの写真論・写真史において、それらが、その社会的機能の側面あるいはメディアとしての位置についてのみ言及しているがゆえに、写真そのものについてほとんど語っていないような印象を受けるのは、そうした共通の場の在りようがあらかじめ一義的に措定され、語ることの前提として安定して機能しているためである。そして、ほとんどの写真論・写真史と呼ばれるものがじつは写真そのものについては何も書かれてないように思えるという不満から、あるいは、かつては手段的存在であった写真がそれ自体目的となったときに生じた、写真の自足性を主張する必要から、ここ十数年の間にはじめられたのが、写真自体についての写真論・写真史の試みであろう。
 だが、写真と言葉のそうした関係を考慮するならば、写真自体についての写真論・写真史というものを考える場合にその対象となりうるのは、写真がかつて語られ、そして語られつつある、写真と言葉との関係の場以外ではありえない。言いかえれば、写真について語ることが、そのものを言いあてるということと決して同じにはなりえない以上、関係の場の在りようを意識的に問うことでしか、写真自体について考え・語ることはできない。私たちは関係の場を語ることで、いわばネガティヴに(抽象的に)写真自体について語るほかないのである。このことを考慮に入れずに、写真そのものを実体的なものとして、言葉によって写真を直接言いあてることにより写真の内在的問題を考えようとすると、写真そのものを語ろうとすればするほど写真の外部に出なければそれが成立しえないという逆説に巻き込まれ、そこに歪みが生じることになる。つまり、写真と言葉の関係の場での言説を、その性質を考えることなく、一義的に写真そのものについての言説ではないと退けてしまうと、写真について何も言及することができなくなるか、もしくは、関係の場そのものを不可視にしてしまうことで、言葉によって写真を直接的に指し示しえているみせるアクロバットを余儀なくされるのである。写真の活性化と呼ばれる事態のもとで進行した、新たな写真論・写真史の模索が、逆説的にも写真表現の閉塞状況をもたらしてしまったのは、そうした歪みそのものを写真を考える場としてしまったがゆえに、関係の場の欠落をこぞって促進させてしまったという致命的な錯誤によるものではないだろうか。
 ここ数年日本において、写真生誕一五〇年を契機としてなされた様々な写真史の記述を思い浮かべてみれば、そのことは容易に理解されよう。そこでは、記述する者が言説上で不在化されることによって、架空の客観的視点が措定されている。つまり、語る者の言説上の不在化によって、語る対象、すなわち写真がひとりでに自身の歴史を語っているようにみせることにより、客観的主体という、およそありえるはずがない立場が写真によって代行されるわけである。写真が話者となるわけだから、そこでは当然、写真においての出来事のみならず文化や時代も、必要な時にのみ登場し、不要な時にはまったく考慮されず、また、ベンヤミン、バルト、ソンタグなどによるいわば公認されたメディア論としての写真論も、必要な部分においてのみ、その写真論としての御墨付きを前提に登場するという奇妙な事態が生じることになる。むろん、そこで問題となるのは、それが客観的パースペクティヴという虚構に保証された一元的なものであるということだけではない。写真が話者という主体になることにより必然的に写真が実体化され、そうした記述にしても写真と言葉が相互に干渉することが可能である共通の場、つまり写真の外部において成立しているにもかかわらず、そのことがそこでは決定的に隠蔽されているということが、また大きな問題なのである。こうした要因に気付かずに、写真においての出来事をいくら饒舌に語ってみせても、それが写真表現の多様化・活性化を促すものとして機能するはずはなく、むしろ逆に、写真の固定化・伝統化への地固めとして作用してしまうことは疑いえない。
 写真について考察することは、写真と言葉の関係の場の在りようを考えることに他ならないということと全く同様に、写真の歴史を考察・記述することは、その時代時代においての写真と言葉の関係の場の在りようのかたち、そして、そのかたちがどのように構成されているのかを考えることに他なるまい。とすれば、写真史という外部をあらかじめ切り捨てることで、単純に写真から写真の内在的問題の変遷をとらえることが可能であると考えるのは、そうした前提を無視しているだけではなく、そこからのみ生じる写真の歴史的考察の可能性をも同時に切り捨てしまっているのと同義であろう。よく言われる、かつては社会的有効性に縛られていた写真が、その役割から解放されることによって、より自由な表現手段としての可能性があらわれはじめたのが80年代であるといった歴史観による写真の可能性の展望は、その意味で全く転倒していると言わざるをえない。かつては写真論・写真史として流布しえた記述が、現在ではそのアクチュアリティーを失っているのは、それが写真の自足性について語っていないためではなく、関係の場におけるかつてといまでの写真と言葉の従属関係の明らかな変容によるものである。関係の場を写真と密着させることを、写真の歴史を考え・語ることと取り違えることは、時代・文化との関連においての写真表現の変容を考察する可能性を、語ることの内で実質的に閉ざしているに等しい。
 手段としての写真が、それ自体が目的となったいま、はじめて可能となり、かつ、必要とされているのは、かつての関係の場において、写真が常にその一義的在りようからはみだし、関係の場そのものを変容させていったことを考察すると同時に、現在での写真と言葉の関係の場の在りようを検証するような写真史の記述であろう。そこにおいてはじめて、かつては自明であった過去においての写真の在り方が、なぜ現在においては不可視であるのかを考察することが可能になり、また、かつては検証しえなかった写真の外部の在りようを問うことで、現在おかれている写真表現の位置を考えることが可能になるだろう。かつて書かれたメディア論としての写真論・写真史も、そこではじめて、写真についての記述として読みかえられる契機が開かれるだろう。それは、写真表現の場の不自由さを明らかにすることでもあるが、その一方で、その限定された可能性への展望を具体的に把握する契機に充分なりうるに違いない。