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[キーワード'90〜写真を読むために4:モード/日本カメラ1990年4月号:140-141]


 80年代、たしかに私たちは、かつてでは考えられないほどの多種・多様な写真を見る機会に恵まれていたと言えるだろう。近代写真の再評価による19世紀から20世紀初めの写真の紹介、写真に様々な手法を取り入れたいわゆる美術と写真の境界領域の作品の登場、オリジナル・プリントという価値基準によるオーソドックスな写真への別の観点からの着目など、すこし考えただけでも、写真の土壌は以前よりはるかに豊かになったかのように思える。国内はもちろん、海外からも次から次へと「新しい」写真が登場し、それを扱うメディア(出版・ギャラリー・美術館など)も着実に増加し、写真はようやく文化の一カテゴリーとしての位置を確実に手に入れつつあるようでもある。一時は衰退したと言われるフォト・ジャーナリズムでさえ、写真というカテゴリーのさらに細分化された一ジャンルとしての位置を与えられることで、再び私たちの目にふれることも多くなってきた。
 そうして、より多様に、より豊富になってきたと言われる写真が、しかし、いま、ただめまぐるしく私たちの前を通り過ぎていくモードの変遷としてしか感じられないのはなぜだろう。ふと振り返ってみると、そうした状況が、写真に多様性をもたらしたどころか、逆に、写真の細分化による写真というカテゴリーの固定化を促進し、結果として写真を一カテゴリーとしての写真に囲い込んだ、至極閉鎖的な動きにしか見えないのはなぜだろうか。
 ここで考えてみたいのは、80年代から現在まで、写真家たち、そしてなによりも写真批評家と呼ばれる人たちによって繰り返されてきた「写真が持つ独自の魅力に目を向けよう」「多様化した写真表現がいま面白い」といった唱和を背景とした写真の「多様化」が、はたして写真の歴史化、あるいは写真の実質的な閉塞状況以外の何かを写真という文脈にもたらしえたのかどうかについてである。そのためには、まず、私たちが、いまいかなる状況のもとに置かれているのかについての検討が不可欠であろう。
 いうまでもなく、写真は近代に登場した認識論的装置である。そして、近代という時代は芸術が不可逆的な変容、すなわち、それまでの特権的階級のための芸術から、芸術それ自体が目的となる芸術へ、という変容を遂げた時代でもある。いいかえれば、それまで明確な目的を保持することで成立してきた芸術が、芸術それ自体の内にその成立根拠を求めざるをえないような、きわめて不透明な関係に投げ込まれたのが近代という時代である。芸術それ自体の内にその根拠を求めようとするとき、それは芸術における相互の差異によってでしかありえず、必然的に近代以降の美術は、あるモデルによる運動、あるいはモード(様式)の移り変わりの歴史を刻みはじめることになる。ここで注意しなければならないのは、それまでの芸術が実体物を前提とした再現=表象の手段であったのに対し、近代以降においては、芸術相互の差異を無視しては芸術をとらえることができない以上、あるモデルあるいはモードを把握したうえで美術を語ることが不可避的になったということである。つまり、再現=表象の意味が不可逆的に変容したことにより、批評がはじめてその重要性を担いはじめるのである。モダン・アート(近代/現代美術)では、批評がある意味で作品自体よりも重みをもってくるのはそのためだ。
 モダン・アートのモードが次々と作り出す差異は、それが古典的芸術観へのすぐれた批判としてありえた時代には、特権的階級による美術の囲い込みによる伝統や社会的制度への批評として有効に機能してきたはずである。だが、同時にそれは美術自体の内における差異化としてある以上、美術が美術を目的化することによる「純粋化」、すなわち美術自体の制度化を免れえない。それが明確な問題として浮上してきたのが70年代以降であろう。モダン・アートがかつての衝撃力を失い、むしろ美術自体の避け難い制度化という弊害のほうが目立ってきたわけである。
 このような流れを踏まえるならば、80年代にあらゆる表現のジャンルで使いはじめられたポスト・モダンという言葉は、モダン自体を一つのモードとしてとらえ、ポスト・モダンという「新しい」モードを位置付けるといった考えを指すものでは決してないだろう。むしろ、ポスト・モダンとは表現の「新しい」様式などではなく、例えばプレ・モダン→モダン→ポスト・モダンといった発展図式において必然的に制度化してしまう表現から、そうした近代的な「進歩」の観念を退けることによって、批評のモダニズムの有効性を再び見い出だそうという、表現自体の位相の変容としてとらえられるべきである。そうした近代的価値観への批判としての機能を抜きにしてポスト・モダンを考えてしまうと、それは制度化へと加速する差異化を促進し、近代的な価値の序列を補強するのみの概念と化してしまうのである。
 こうした観点から、写真の80年代、“写真のポスト・モダン”を考えてみるとどうだろうか。むろん、ここでの“写真のポスト・モダン”という言葉が指しているのは、写真の過程に様々な手法をとりいれた、いわゆるポスト・モダン写真だけではなく、「あえて」という枕詞を携えてなされた伝統的な写真の復活、美術館を中心として様々なメディアでなされた写真の歴史の再編など、おそらくポスト・モダンという言葉に庇護されていただろう動きのすべてを含みこんだ、80年代の写真の状況である。はたしてそれは、制度化する写真への批評的機能をもっていただろうか。
 美術と写真の境界領域の作品と称される写真は、「美術」や「写真」という価値の序列を無効にするどころか、美術と写真の相互不可侵条約に支えられた「境界領域」という新たな価値の序列を生産し、伝統的な19世紀の写真像への回帰は、伝統という権威を解体するどころか、自らをその伝統を引継ぐものとして位置付けたにすぎず、写真史の再編は、「進歩」という観念に基づく近代的な歴史観を復活させることによって、写真というカテゴリーを正統なものとして承認させ、「現代写真」をその次にくるものとして「写真」という制度化した枠組みに定着させた。80年代を振り返って、現在私たちが置かれた状況を見つめ直してみても、“写真のポスト・モダン”からは、何一つ積極的な批評の契機など見い出だすことなど出来ないというのが実状だろう。 おそらくこうした状況は、70年代の終わりに「美術」という文脈に位置付けられることを余儀なくされた写真が、写真それ自体を目的化し、囲い込むことで、自律した表現としての立場を主張することを目論んだという、きわめて近代的価値観の罠に陥ったことに由来している。というのも、写真自体の価値をあらかじめ措定したところでは、歴史という伝統主義の解体、美術(写真)というそれ自体が制度化してしまった領域の解体といった、ポスト・モダンの批評的契機が生かされる可能性など、ありえるはずがないからである。そうした自己目的化した認識のもとでは、ポスト・モダンの典型的手法とされる<引用と折衷>もその本来の意図(批評的有効性)を欠いたまま、「写真」という枠組みの内で虚しく空回りするのみである。
 だが、写真とは、そのようにある枠組みのもとでしか作動しえない装置だったのだろうか。そうではあるまい。むしろ、写真こそはベンヤミンの言葉を思い起こすまでもなく、機械的な複製能力によって、起源や歴史を、そして芸術作品の権威を無化する可能性を秘めた装置ではなかっただろうか。古典的芸術への回帰を成立させる実体物を前提とした再現=表象という図式について、それが現在、モードをとおしてしか語りえないものであるがゆえに実体的なものとのリアリティのずれを孕んでいるのだということを、たえず発見させる機械こそが、近代に発明されたほかならぬあの写真装置ではなかっただろうか。実体物の写しでありながら、つねに実体物との意味の変容が浮上する、ブリコラージュの機械=写真は、表現の諸領域・芸術という歴史に侵入しその実体化された意味を脱臼させ、変容させ、たえまなく無化させる契機をそなえているはずである。だとすれば、あらかじめ実体化させる手続きをとった「写真」にアウラ(作品としての価値)を見い出だすような“写真のポスト・モダン”は、二重に反動的であると言うべきであろう。