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[キーワード'90〜写真を読むために3:風景/日本カメラ1990年3月号:136-137]


 風景写真について考えるとき、それを例えば、「写真にとって風景とは何か」といった問いに変換してしまうと、いかようにでも使うことができる「写真」や「風景」という言葉にとらわれて、私たちは混乱した概念の袋小路にはいってしまいがちだ。しかし、ここで私が考えてみたいのは、風景写真がいかに私たちの現実に対する認識を変容させてきたのかといったことではなく、また、写真における風景という概念の成立をさぐるといったことでもなく、明確な定義もなされないままに(だが、それゆえに)、私たちのまわりをごく自然にとりまいている「現代写真」における「風景写真」についてである。「風景写真とは何か」ではなく、「いま写真において風景写真なるものはどのように機能しているのか」と問うことで、現代写真における風景写真というジャンルの意味をここで考えてみたいと思う。
 19世紀に写真術が発明されてからごく最近まで、写真は世界を認識し把握するための道具として用いられてきた。写真機が科学技術の発展の一つの成果として生まれたのと同様に、写真は人々が世界をより客観的に「正しく」把握していくための科学的認識装置として機能してきたわけである。いうまでもなく、その背後にあるのは、世界を超越的なものによって構成され与えられたものとしてではなく、人間の理性によって対象として把握することで客観化してとらえうるものとして考える近代的な世界観であり、あいまいな人間の知覚(視覚)に根拠を与え、世界の客観を正確にとらえるための装置として写真はその役割を果たしてきたのである。私たちが現在、視覚について考えるときに、すぐさま世界が水晶体をとおして網膜に投影されるという写真機になぞらえた図式を考えてしまうのは、何もいわれのないことではない。写真こそは見ることに科学的な根拠を与え、私たちの視覚という認識の仕組みを補完し、客観の把握へと拡張する装置だったのだから。写真が客観性にもとづく世界の写しであると考えようと、また、写真家の世界に対する解釈の表現(自己表現)であると考えようと、それはその図式にそった考え方であり、主観−客観という透明な認識の図式そのものが疑われるまでは、世界−写真機−撮影者という図式による写真の認識装置としての役割それ自体が問われることはなかったのである。
 日本におけるいわゆる「コンポラ写真」が、「写真表現の手練手管を潔癖なまでに否定している」「取り上げる対象が、日常ありふれた何げない事象が多い」(大辻清司)*写真だったことをいまふりかえるとき、それは、たんに強調や選択が意図として読みとれる社会的出来事を記録する写真から「カメラの機能を最も単純素朴な形で使」(同前)*うことによってありふれた日常を対象とする写真への移行であった以上に、つねに対象の選択や技法の目新しさが判断基準となってきた写真における表現を、写真自体に含まれる内在的問題や写真家の方法論が問われる場へと結果的に追い込んでいった事態だったと言えよう。つまり、透明な認識の図式をもとに、現実とカメラの関係のみが問題とされてきた写真は、「コンポラ写真」以降、はじめて写真の構造それ自体を問われることになるのである。ここにおいて、写真における対象とは、たんなる現実の写しとして写真に写っているものではなく、写真家の写真自体に対する認識の仕方から規定されるものとして、その意味が変わってくる。そして同様に、風景写真という言葉も、写真に写っている対象や写真家の対象に対する解釈を指し示すものから、対象−写真機−撮影者という写真の図式的な認識に対する写真家の態度のありようを示すものとして、そのニュアンスが変わってくるのである。
 主観−客観という図式から世界を把握するのではなく、そのような図式をのりこえたところから、もう一度私たちの世界にかんする認識というものを洗い直そうとするとき、私たちは必然的に主観から主観を問うことになる。というのもその場合、世界が客観として一方的に主観に入り込んでくることが前提とできない以上、私たちは主観に問うことからはじめざるをえないのである。写真においてそれは、写真の外にあらかじめ在るものとして世界を把握するのではなく、写真自体において世界を外部として見い出だすための試みとして、写真家にとって外在的な技法の領域として見なされてきた写真を作るプロセスを、写真家の内在的な方法論によって写真自体に取り込むことにほかならない。つまり、選択枝としての技法を表現に合わせて選びとるのではなく、明確な方法を設定すること(プロセスを方法化すること)によって、写真家−世界といった図式を括弧に入れ、写真によって現実(世界)を認識することの内在的条件を問うのである。「コンポラ写真」以降、すなわち70年代の後半あらわれてきた、従来の写真にくらべると何の意味ももたないような対象を羅列したような風景写真は、このような背景のもとで生まれたものであり、その本来の意図を考えるならば、それはよく言われているような明確なコンセプト(方法論)を設定することにより主観性をできるだけ排除し、写真家が操作しえない現実あるいは写真の独自性を抽出するという性質のものでは決してない。もしそうであるなら、それは純粋な客観を結果として取り出すための操作にすぎないのであり、のりこえようとした写真家−世界という図式を結果的に復活させ、その図式をより強固なものとして認めてしまうものにすぎないのだから。繰り返しになるが、それは、写真家が写真のプロセスの内で疑いえない外部としての世界を把握している条件を、主観という意識に問いたずねることで(主観の内部で)明らかにしようという営みであったはずである。
 そして80年代、都市や近郊を対象とした風景写真や日本という風土が端的に読みとれる対象を写した風景写真、あるいは日本古来の風景観といったものを方法論として対象にあてはめていった「新しい」傾向の風景写真が数多く登場する。それらは、一定の方法論が写真から読みとれることから、いっけん写真のプロセスを写真に内在化させたうえでの作業に見えるが、その方法論が個的に囲い込まれた写真家の主観の独自性(オリジナリティー)を保証する類いのものであることを考えると、そうした傾向の風景写真とは、19世紀からの世界−写真機−撮影者という図式への巧妙な写真の先祖がえりにほかならないように思える。すなわちそれらの写真は、方法論を主観が主観に問うためのものとしてではなく、主観それ自体を疑いのないものとして補強するものとし、機能させるという転倒をあらかじめ含みこんでおくことにより、写っている対象をたんなる客観的な世界の写しではないと主張したうえで、写真家−世界という図式を写真家自身の内に復活させているのである。それは、主観の内部で外部としての世界を見い出だすという困難に直面した写真が、客観的な世界など存在しない、あるのは写真家が把握しえた世界のイメージだけだ、という独我論に陥ったことにほかならない。主観が主観に問う(写真が写真を問う)という自己言及的な営みが、写真家と世界の隔りに直面したとき、その問いの本来の意味を忘れ自己目的化したのである。現代の風景写真が語られるとき、よく身体・行為・記憶といった言葉が、写真家が写真のプロセスにおいて外部性を見い出すことの内在的な契機を指す言葉として用いられているが、自己目的化した方法論による写真においての身体・行為・記憶といった契機とは、たんなる写真家の作家性を補完するものにすぎない。そのような言説は原因と結果をとりちがえているのである。
 私は何も写真一般に対してこのようなことを言っているのではない。そうではなく、まがりなりにも、現実のそのものの写し(客観)としての対象を直接的に問題としない文脈からはじまったはずの「現代写真」における「風景写真」が、写真という認識の装置それ自体に足を掬われ、風景写真というジャンルでくくられる写真を作っている現代の写真家たち自身がおそらくはそれと知らぬまに独我論に陥いり、彼らの写真自体が、写真を世界の把握のための素朴な道具として復活させ、近代的な世界観を円滑に機能させる装置としての役割を果たしているのは滑稽だと言いたいのである。

*カメラ毎日1968年 6月号「主義の時代は遠ざかって」