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[ドキュメント行為の反復/変容:土田ヒロミ『砂を数える 1976-1989』/deja-vu 900710 No1:127-128]


 土田ヒロミはドキュメントの写真家である。これは、写真表現という言葉が付せられれば様々な写真が同じ水準に置かれ並列化され、何もかも一緒くたに語られてしまう傾向が強いように思える現状において、まず確認されておいてよいことのはずだ。土田氏をドキュメントの写真家と呼ぶことは、一方で、彼の一連の作業の展開を一定の文脈から把握し位置付けることにもなるが、また、他方で、ドキュメンタリーという文脈の中にとどまることで彼が引き受けた問題と、その作業の変容を考えることを可能にするはずである。むろん、ドキュメンタリーという呼び方に土田氏が頷くか否か、私は知らない。だが、ここでとりあえずドキュメンタリーと呼び、括ってみたのは、主題があらかじめ優位に置かれていることで、方法が結果的に主題に統合され透明化される一連の写真のことであり、その意味では、土田氏は疑いなくドキュメンタリー写真家であるはずである。
 じっさい、土田氏の主な写真集、『俗神』・『ヒロシマ』(三部作)・『砂を数える』は、いずれもそうした写真として存在している。例えば、「ヒロシマ1945〜1979」・「ヒロシマ・コレクション」・「ヒロシマ・モニュメント」で構成される『ヒロシマ』は、それが何よりも明確にあらわれている作品であり、いずれも主題+方法=作品という図式で容易に解読することができる。ヒロシマという大きな主題にそって、被爆者・被爆品・被爆した風景という対象が選ばれ、それにそって明確な方法が設定される。そこで問題にされるのは常に、選択された対象・方法が主題に対してどのように作用しているのかということにつきるのであり、方法の在りよう自体は問われることがない。『俗神』にしても同様であり、日常的世界に生きる人々の非日常的断面を、様々な光景のヴァリュエーションによって構成し、それに『俗神』という強い意味性をもつ言葉をタイトルに付けることにより、個々の写真は主題化され、「俗神」という主題に奉仕することになる。そこでもまた、基本的に問われうるのは「俗神」という世界像と、それを構成するための方法との関連の成否のみであると言えよう。むろん、『砂を数える』にしても同様の読解の線を用意することができる。例えば、スナップ・ショットという方法による、群衆を対象とした日本人論であると。
 だがそうした読解の線を引いたとたん、もう一方で、土田ヒロミの興味の変容、『砂を数える』の不可解な側面が浮かび上がる。『俗神』・『ヒロシマ』、あるいは、ゲイを撮った『青い花』といった作品が、ある一つの世界像を容易に結びうるものであるのに対して、『砂を数える』では、世界像を形成しうると考えてはじめられた作業が、どこまでも迂回したまま完結せず、写真集という形にとりあえず投げ出されているように見えるのである。『砂を数える』というタイトルでのはじめての個展は、『俗神』が出版された直後の1977年に開かれている。ということは、土田氏の『ヒロシマ』・『青い花』といった仕事は、いっけん『俗神』と『砂を数える』の間にあるように見えるが、実は、『砂を数える』と『砂を数える』の間にあるのものだ。言い換えれば、土田氏は『俗神』を出版したあと、一方で『ヒロシマ』・『青い花』といった明確に括りうる仕事を発表しつつ、他方で『砂を数える』を継続していたということになる。『ヒロシマ』・『青い花』といった作業に見える、自身の興味を作品というかたちに器用にまとめあげることができる土田ヒロミからすれば、『砂を数える』もまた同様の仕事として、いつ、どの段階で出版されてもおかしくはなかったはずだ。げんに、私の記憶では二回目の写真展『砂を数える』(1985)では、人の数が徐々に増えていくように写真が組まれ、それが、そのまま写真集になっても不思議ではないくらい「完成」していた。だが、土田氏はそれをしなかった。それをしなかっただけではなく、90年にようやく写真集という形をとった『砂を数える』は、二回目の写真展に比べるとより断片的な形で提出されており、『砂を数える』という作業の一つの形にすぎないように見えるのである。そう考えると二回目の個展にしても同様に、「完成」していたのではなく、そうした形が試みられたにすぎないように思えてくる。
 『砂を数える』と他の作業との間に見られるそうした亀裂は、おそらく、そのタイトル自体に読むことができる。他の作業のタイトルが世界像とでも呼ぶべきものを措定しうるのに対し、『砂を数える』は土田ヒロミという主体の行為を指すのみである。その意味で、『砂を数える』は土田氏自身の写真行為のたんなる継続/展開ではなく反復/変容であり、写す動機と写ってくる世界との間にそのつど生じる亀裂の断片であるといえよう。それは、ドキュメンタリーという枠組みにとどまり様々な作業を繰り返すなかで、手段であったはずのスナップ・ショットという方法が不意に目的となり、また、写真行為の動機となり、ドキュメンタリーという透明な写真の在りようの不可能性を断続的に内部から照らしだし続けてきた、土田ヒロミというドキュメンタリー写真家としての稀有な在り方を示しているように思えるのだが。