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[「女性」と「写真」:「女性のまなざし―日本とドイツの女性写真家たち」展/BT・美術手帖1990年7月号:121-123]


 いかに中性的な場としてそれが見えようとも、写真メディアが男性原理によって支配されてきたこと、あるいは、男性原理による支配に利用されてきたことには変わりあるまい。そして、写真メディアが男性原理による関心・利益に導かれ利用されてきたと直接的に解釈・告発することは、それを可能としてきた写真の透明性・客観性(=中性性)の神話を前提とすることによってはじめて導かれうるものであり、そうした指摘の内には、その前提自体は温存し、結果的にはそれを補強する構造がつねに孕まれているのだと言えよう。写真を思考する場が、かつてのように表現する手段としての写真ではなく、写真表現それ自体においての諸問題に(実質的にはともかく、現象としては)移されている現在、女性写真家という存在について考えることとは、いま一度写真を中性的な場へと差し戻したうえで、一義的に女性独自の表現を設定し、その表現を(男性原理の内に)承認させることでもなければ、ファロス・ロゴス中心主義に対する優位性があらかじめ女性という生物学的区分に備わっているとすることで、それをすでに乗り超えた架空の場所を措定し、そこに女性による表現を位置付けることでもあるまい。というのも、そうした営みは、それ自体きわめてファロス・ロゴス中心主義的なわなの内にあるのだから。
 よって、いま、写真にとって女性ということを、あるいは、女性にとっての写真を問題とするならば、それは、不透明な場に置かれた写真について考察するための、思考の場の設定の一つの試みとしてとらえられるべきであろうし、また、その試みの有効性こそが問題とされるべきであろう。つまり、つねに中性的な場の中で手段化されその機能が統合されてきた写真に対して、その一元的価値の序列に振り戻されることなく、不透明さを写真表現そのものの内在的問題として触れるための場の設定の仕方の有効性こそが問われるべきであるのにちがいない。
 川崎市民ミュージアムで開催された『女性のまなざし−日本とドイツの女性写真家たち−』(4月10日〜22日)が、写真の歴史のなかでの女性を検証するものではなく、あるいは、女性写真家による写真の系譜をたどるものでもなく、日本とドイツのコンテンポラリーな作家によって構成され、それに『女性のまなざし』という題名が付せられた展覧会であることを率直に受けとめるならば、その企画に対して浮上してくる問いは同様のものであると思われる。したがって、ここでは、『女性のまなざし』という場が、展覧会自体においてどのように設定され機能していたのかという問いにおいて、この展覧会について考えてみたいと思う。
 会場では、7人の日本人作家と10人のドイツ人作家の作品が入り交じったかたちで(少なくとも日本/ドイツとは分れていなかった)展示されていたものの、展示されていた作品から見る限り、そこには日本人作家とドイツ人作家の作品の明らかな違いがあったように思う。誤解のないよう強調しておくが、それは、日本と西欧の作品のクオリティーの違いといった一言で解消されるような「レベルの違い」ではない。そうではなく、見てとれたのは、写真表現が成立している文脈の違い、明確に言うならば、写真表現が成り立っている写真と言語の関係の場の在りようの違いである。
 タイトルに端的にほのめかされた物語にそって画像の意味が提示されていた石内都の作品、内/外という言葉に素朴に二枚の写真が対応し、そこに言葉が介入していく神蔵美子の作品などは例外と言えるだろうが、日本人の作品に共通していたのは、写された対象を、ある言語的意味が直接的に指示することから、きょくりょく離れることを志向することによって、写真から読みとりうる言語的要素を断片化・分散化していく傾向であろう(ただ、そうした行為が、私と写真の関わり方といった位相でしか把握されていないようでもあり、じっさいには写真と言語の関係の場で生じている構造が横滑りし、その構造自体が写真そのものの魅力とされてしまうことで、言語的要素の断片化・分散化そのもにについての捉えかえしが作品において殆どなされていないように見えたのは残念だった)。一方、ドイツ人の作品では、提示される作品はあらかじめ概念の連関の内部にあり、その連関の一部分を写真が概念として担っていることが共通しているように思えた。概念の連関とは作品そのものの背景として作品を成立させている基盤とでも言うべきものであり、写真は一定の意味の体系(=概念)としての言語と適合しており、その意味において、写真は積極的に言語化され用いられていたと言えよう(ドイツ人作家については、カタログに掲載された展示写真と実際の展示作品とが著しく違っているものもあり、また、後述するように作品が置かれている文脈についての情報が不充分であることから、これ以上言明することは避けたい)。日本とドイツの作品の差異について詳しく言及することはここでの課題ではないので、これ以上掘り下げるつもりはないが、このような日本とドイツの作家の差異は、同じ手法で制作された作品、例えば杉浦邦恵とデルテ・アイスフェルト(フォトグラム)、加瀬晴美とバーバラ・クレム(スナップ・ショット)などを比較した場合、あるいは、カタログに寄せられた作家の自身の作業についての言葉を比較してみると、いっそう明らかになるだろう。
 さて、ここまで写真と言語の関係の場という言葉を幾度か用いながら文章をすすめてきたわけだが、それは写真が、国境・文化を越え並列化したコミニュケーションをなしうる言語の代用物などではけっしてなく、じつは、正反対につねに文化・文脈から規定される言語によってしか理解されることのないものだからである。というのも、写真が文化・文脈を流通しうるのは、写された対象そのものに写真が類似していることによって、直接ものを指し示す言葉、〔これは〜である〕という肯定(=断言)のレベルに限定されるのであり、ひとたびそれが、言語という関係の網目における差異の体系によって語られるときには、必ず一定の文脈にそってでしかありえないからだ。したがって、写真について考え・語るには、写真と言葉が相互に干渉することが可能である関係の場という外部が不可避的に必要とされるはずであり、“女性”というターム、あるいは日本とドイツという明らかに文化の異なる二つの場所をめぐって写真が考察されるためには、とりわけ、個々の作品においての関係の場の在りよう、そして、それをある企画によって括り提示するときの関係の場の設定の仕方が重要となってくるのだと言えるだろう。
 こうした観点から『女性のまなざし−日本とドイツの女性写真家たち−』という展覧会をふりかえってみると、しかし、幾つかの不充分と思われる点が浮かび上がってくる。それは、日本とドイツの作品が、区分されるのでもなく対比されるのでもなく入り交じって展示されていたことにより、実質的には両者の差異がネガティヴに解消されてしまっていたこと、カタログには女性写真家の作品についてどのようにも当てはめうる恣意的な文章が載せられていたのみで、具体的な文脈・作品をめぐったテクストが見当たらなかったこと(特に、ドイツ側によるドイツの作品の解釈が何もなかったこと)、そうしたことの結果として、あえて『女性のまなざし』そして『日本とドイツ』という括り方をすることで設定されるはずの場がきわめて不明瞭なかたちでしか示されていなかったこと、などである。むろんこの時代に、写真機モデルと視覚とを同一化して、女性によって撮られた写真が単純に『女性のまなざし』と名付けられることや、写真を軸とした異なる文化の単なる融合・並列化のために『日本とドイツ』という言葉が用いられることなどは想像し難いので、しかるべき企画の意図・関係の場がこうした読みとは別に用意されてはいたのだろうが、展覧会という場(=展示・カタログ)においてそれを汲み取ることができなかったのは、非常に残念なことであった。試みは、それ自体においてつねに評価されるべきものだと思うが、ここでの問題は、何が試みられていたのかが不明確だったということなのである。
 ただ、もちろん、ひとすじなわではいかない“女性”というきわめて制度的・原理的な問題を、先駆的に写真を思考する場として設定したことを考慮するならば、はじめからそれが有効に機能することの方がむしろ不思議であり、企画者・出品者がこの展覧会によって、そうした困難な場へとあえて自らを投げ込んだことこそが注目されるべきであるのは言うまでもない。企画者にしても出品者にしても、“女性”というタームを単なる流行のうえで取り扱ったわけでは、むろんあるまい。とすれば、次の段階のアプローチがあってしかるべきであろう。自らを“女性”という制度的な問題へと位置付けた個々の女性写真家が、そして、そのような問いの立て方を抱えはじめた企画者が、この展覧会を起点として今後どのような展開を見せていくのか、期待を込めてしっかりと見とどけたいと思う。