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[写真のポリフォニー:texte I:POLYPHONY/BT・美術手帖1990年4月号:53-57]


写真のポリフォニー、それは、写真の歴史化・伝統化からの脱却のためのダイヤグラム。写真そのものを差異化させる運動。複数の体系(言語・写真)の対話の不可能性からのみ生じるポリフォニックな対話。つまり、語ることの不可能性の内から語ることを可能にしてしまうような、そんなはざまの漂流に立ち会うこと。



texte I:POLYPHONY

 写真が世界の忠実な再現であること、あるいは内面の探求の投影であることを、ある写真が優れたものである証しとして素朴に援用する者は、おそらくいまや誰もいまい。近代的な世界観としての<主観/客観>という図式に倣い、写真機を中間項に置いた<写真家/世界>という図式を制作したうえでの、写真のそうした単純な了解を口にすることを慎重に避けることは、皆の了承となっているようでもある。そして確かに、写真にかかわる者は、世界と写真の関係の在り方においてではなく、写真自体においてその関係の在り方を踏まえたうえで、内在的可能性の探求へと個別的に向かっていったようでもある。80年代によく引用され流通した「“撮る(TAKE)”から“作る(MAKE)”へ」(ウェストン・ネフ)といった符牒が、なによりもそのことをよく象徴しているだろう。しかし、それを、即、その図式がなんらかのかたちでのりこえられたことと同義にうけとってよいものだろうか。そこには必ずある疑念がつきまとう。こうした状況は、世界についてのアクチュアルな問いが他の映像メディアに移行したことを、写真自体がそうした図式を何らかのかたちでのりこえたことと、とりちがえたにすぎないのでは、という疑念が。というのも、写真史をふりかえってみるかぎり、<写真家/世界>という図式にそって提出された、写真装置が世界に所属すべきものであるのか、あるいは写真家に所属すべきものなのかといった議論は、あの70年以降、かなり曖昧なかたちで棚上げにされたままだからである。
 <写真家/世界>という図式にそって写真が語られた時代、つねに解決不可能な問題とされてきたのは、いかに客観的に世界を写そうとしてもそうしようとする写真家は主観的であり、いかに主観的にあろうとしても客観としての世界が写ってしまうという逆説である[1]。つまり、写真が何かを“撮る”ことによって成立するという観点に立つかぎり、写真家は世界についての不完全なあるいは偏見に満ちた認識者として在らざるをえないのだ。この逆説がつねに写真家につきまとったのは、この時代、写真は未知の世界を記録し伝達する優れたメディアとされていたからである。またそれゆえ、世界は、認識のための啓蒙の物語を写真に提供する存在としてあった。そのような啓蒙の物語、世界の蒐集家としての写真家の姿は、今日ではむしろ滑稽なものとして受けとられているだろう。写真に未知の世界の伝達という目的を与え写真を手段化したがゆえの、世界をまえにした写真家の苦悩。それは、写真の多様な在り方に気づかなかった愚鈍さとして、たんに「古い」ものとして片付けられているようだ。だが現在、それを滑稽とする多くの者たちは、じつは世界の蒐集家としての写真家を、写真の蒐集家としての写真家と置きかえているにすぎないのではないだろうか。世界をより識るためにという啓蒙の物語に支えられた、かつての写真家たちにとっての未知の世界という相対的な多様性が、いまでは未知の写真という「世界」の相対的な多様性に入れかわったにすぎないのではなかろうか。だとしたら、そうした啓蒙の物語を嘲いつつ、みずからが写真という認識の啓蒙の「新しい」物語を生みだしている者たちは二重の意味で滑稽である。なぜなら、それは、「写真家と世界」という問いの形の「写真家と写真」という問いへのたんなる変形であるばかりでなく、<写真家/世界>という図式のなかでとらえるかぎり避け難い逆説としてあらわれてくる写真の両義性を、<写真家/写真>というより巧妙な「新しい」二項対立を作りあげることで、《写真》という超越的な項に回収し、隠蔽してしまったことにほかならないからだ。
 このことを検討するためには、「“撮る”から“作る”へ」という符牒が80年代、どのような問いとして受けとめられたのかを考えてみることが重要であろう。もしそれを写真のとらえなおしの契機として(ネフの意図とは別に)本来的に考えるならば、対象が一義的な在り方として(世界という客観として)動かし難くあらわれてくる“撮る”という観点からの写真の考察から、“作る”という意識においての写真の考察への移行を意味しているはずである。すなわち、対象(世界)をある意図にそって選びとる写真家という主体からの写真の把握から、写真家という主体自体においての写真の把握の在りように向けた問いへの転回を。そして、“撮る”立場から考察されるとしての、写っているのは対象そのものでありながら、対象そのものは写っているものにすぎないという写真の両義性は、写真を写真としてとらえるかぎり避け難くあらわれてくる写真自体のとしてとらえかえされたはずである[2]。その意味で、「“撮る”から“作る”へ」とは、「ストレート写真/メイク(手を加えた・演出された)写真」という新たな分類項によって写真の新しい傾向や傾向の推移を示す言葉などではなく、むしろ、つねにそうした分類(「記録写真/絵画的写真」etc.)によって綴られてきた写真の歴史の無効性を示していると読まれるべきであったと言えよう。
 だが、現実には「“撮る”から“作る”へ」という符牒は、そうした二分法によって、手を加えた「新しい」写真とそれによって収まるべき歴史的位置の定まったストレート写真という図式を置くことでの、写真の歴史化・伝統化になによりも貢献したというのが、80年代から現在にいたるまでの実状であろう。それはここ数年、美術館を中心にさまざまなメディアで繰りかえされてきた、写真の再編をみれば容易にわかることである。いっけんはげしく対立するようにみえるストレート写真とメイク写真がきちんと写真史に収まっているのは、その間には、じつは《写真》という超越的な中心を置いたうえでの相対的な差異があるのみだからだ。そして、美術と写真の境界領域の作品、あるいはポストモダン写真などと総称される作品が、じっさいにはなんら写真(あるいは美術)の近代主義的伝統を脱構築(ディコンストラクト)することがないのは、みずからが《写真》(あるいは《美術》)という超越的な架空の枠組み(メタ物語)を制作したうえで、その枠内での解体をおこなうという、きわめて近代的な啓蒙の物語の筋書きにそった営みであるからにほかならない。その内で、作家も作品も批評も、その脱構築されることのない解体という「新しい」物語の内に、シリアスな身振りで、だがむしろ快適にみずからを位置づけてきたのではないだろうか。本来的な問いを欠いた批評とは、《写真》という枠組みの内で、当てはめ・編纂を繰りかえす自己目的化した体系にすぎない。自己目的化した体系とはそれがどんなに複雑な体系であろうとも、むろん独我論的世界であり、写真を神秘化することで《写真》の共同体を形成する体系である。
 確かに、美術という文脈にそった写真史という系譜が、私たちに多様な写真を提供しつつあるのはまぎれもない事実のようにもみえる。だが、それがいかに手の込んだものであろうとも、それが《写真》という単一の体系に保証されたものである以上、そこにあるのは、すべてがその体系に回収されるように系統立てられた相対的な差異性・多様性である。そのような見かけの多様性に依存するような構造こそが、いま写真を窒息させている。なぜ「現代写真」がそのような場に陥ってしまったのだろうか。
 写真を言語・対象などから区別し、写真自体として実体的にとらえようとするかぎり、写真の独自性を一義的にあらかじめ措定せざるをえない。しかし、言語がそうであるように写真もまたすぐれて恣意的な体系である。のみならず私たちが写真を把握するときには、言語という恣意的な意味の織物をとおしてしかそれを知覚することができない[3]。鏡を把握しようとして、反射した対象やそこから言語をとおして読みとれる意味を排除することで鏡自体を純化してとらえようとすると、それはもはや鏡としての特質をそなえてはいないがゆえに、鏡を把握することができないのと同じように、そうした関係によってのみ浮かびあがってくる写真という抽象物に対して、写真自体という実体的な在りようをあらかじめ措定したときには、もはや写真の写真たる特質は消されてしまっているである。「現代写真」という場における言説がいちように閉塞されているのは、一元的な写真自体という実体性の内に写真の特質を見い出だそうとする転倒(問いの転倒)に無自覚なばかりに、写真の恣意性そして言語の恣意性に由来する写真の両義性によってのみ具体的にあらわれてくる写真の差異性・多様性をとらえそこね、写真の具体性を隠蔽し、神秘化しているからである。そのような立場から見い出だされる写真の魔術・写真の力など(それらはたいてい写真の両義性を言葉をこえた実体的なものとして位置づけることにより言葉をしりぞけることによって、写真という実在を握った「言葉をこえた」より知っている者としてみずからを暗黙のうちに了承させている)は、じつは、《写真》という虚構の実体物にむかわせる強制力(神秘主義)としての《写真》という共同体の魔術・《写真》という共同体の力にほかならない。いかに写真自体の魅力について語っているように見えようとも、そうした立場からの言説は必然的に《写真》という共同体の権力に転化するのみであり、写真そのものの具体的あらわれに触れることはない。
 とすれば、ここでの課題となるのは、写真の複数の位相での具体的なあらわれを写真そのものとしてとらえる試み、あるいは、写真自体について語ること(実体化させること)の不可能性ゆえに具体的に写真が把握されうることについての考察であろう。いまだ写真史的配列の痕跡を残しているという意味では不充分ではあるが、ここで試みられているのは、写真の歴史化・伝統化からの脱却のためのダイヤグラムである。写真そのものの体系における差異性をあらかじめ根拠づけることなく、まさしく複数の体系(言語・写真)の対話の不可能性からのみ生じるポリフォニックな対話に写真そのものの差異化を見い出すこと。そのような写真そのものについての固有なかつ具体的なあらわれ、それが[写真のポリフォニー]にほかならない。


[1]写真が世界にかかわるものであるかぎり、写真家はあまり価値がないが、それが大胆な主観性探求の道具であるかぎり、写真家はすべてなのである。(スーザン・ソンタグ)

[2]これに対しての、例えば、写真のプロセスに手を加えるという方法自体が、<主観(写真家)/客観(世界)>という枠組みから自由になれる契機をすでにそなえているといった類いのとらえ方は馬鹿げている。それは、<主観/客観>という図式の<主観>の項に、<写真家/世界>という図式を繰り込み、<主観《写真家/世界》/客観>という手の込んだ複雑な図式を制作したにすぎず、<主観(写真家)/客観(世界)>という図式は依然として存在しているからだ。

[3]「写真」が分類しがたいのは、生起した写真のなかのある特定のものに、根拠がまるでないからである。おそらく「写真」は、記号と同じようにふくらみのある、確実な、気高いものとなることを切に願っているのであろう。そうなれば一つの言語として高い地位につくことができるからである。しかし記号が存在するためには、標識が存在しなければならない。標識を与えるための原則を欠く写真は、記号としてうまく固まらないうちに牛乳のようなものである。何を写して見せても、どのように写して見せても、写真そのものはつねに目に見えない。人が見るのは指向対象(被写体)であって、写真そのものではないのである。(ロラン・バルト)