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[ギャラリー・クルージング〜写真展回遊2:パリでおのぼりさんする/日本カメラ1989年2月号:123-125]


 さて、初めてのパリである。11月がメインの「パリ写真月間(Mois de la Photo a Paris)」だが、12月になっても88の写真展の半数弱はまだ展示をやっているので、それを見ようとやって釆たわけだ。初めての街で写真展を訪ねようということは、まず街の仕組みや習慣を知ることから始めるということ。写真月間のパンフレットに書いてある住所と地図を照らし合わせ、それから開催時間と休館日を見て、地下鉄やバスの路線図とギャラリーの位置を確かめ、交通機関の使い方を調べて…といった枝分かれしていく疑問に対応していかねばならず、東京ではほとんど条件反射的に行なっているそうしたことを、一から組み上げてようやく「写真展を見る」ところにたどりつくわけだ。そうして組み上げた1日のプランも、慢性的に続いている地下鉄やバスのストなどであっさりふり出しにもどつたりするのだから、面倒である。

 12月5日――昨日の飛行機は寒いうえ、約3時間の遅れでホテルに着いたのは深夜、そして今日は雨だ。気候は開いていたより暖かく、用意していた防寒具は全く不用だったが、用意していなかった傘を買うところから1日を始める。ポンピドゥー・センター(Centre Pompidou)の報道写真展を見てから上階の20世紀の美術の常設展に行き、そのボリュームに驚かされる。外国でこうした美術館に行くといつも、東京で少ない点数で高い入場料の展覧会に行くのがばからしくなる。夜、映画を見に行く。たいていの映画館は、最後の上映が10時前後だから夕食のあとでも充分間に合うのだ。最も僕は、上映中すっかり眠ってしまったのだが。

 12月6日――ノートルタム寺院からルーブル美術館を通ってオペラ座へ。昼食のあと一行とはぐれたので、オペラ座での写真展を見ることにする。オペラ座を一周してどうにか入口を見つけ写真月間のポスターの矢印の方に行ったのだが、会場が見つからない。受付嬢にカタコトの仏語で場所を尋ねたが当然のことながら返事が解らない。傘を忘れ体も濡れていたので、ホテルに戻ることにする。

1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)地下鉄オデオン駅の写真月間のポスター
(右)ストゥディオ666でのジレの展示


 午後から、本誌のパリからのレポートでおなじみの港千尋氏が、近くのコンテンポラリーを扱うギャラリーを中心に案内してくれる。路地から路地へと足早に歩く氏についていく間に、すっかり自分のいる場所が分からなくなる。案内書には、パリの街は街路表示などの勝手を知れば決してわかりにくくはないなどと書いてあるが、それは地図の上での話。そして地図と街が一致するのはその街に住む人達なのだろう。ストウディオ666(Studio 666)のような路に面したギャラリーは自分でも探せたろうが、ミッシェル・ショメット・ギャラリー(Galerie Michele Chomette)のように何の表示もない入口を入り、薄暗い階段を上って行った所にあるギャラリーなどは、あきらめの早い僕などには一人では見つからなかったに違いない。入口を入ったところに中庭があり、そこにまた各店・各部屋のドアがあるという構造は知識としては知っていても、実際にそれを見るまではピンとこないものである。日本で写真月間の情報を見ていると、街には至る所にポスターが貼りめぐらされ…などと単純な僕は思ってしまうのだが、オリンピックではないのだからそんなはずはないのである。

1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)ルイス・ボルツ展(ミッシェル・ショメット・ギャラリー)
(右)プリントを売っている写真展会場・手袋をして自由に見ることができる


 ミッシェル・ショメットでのルイス・ボルツの写真展は、6切の写真が余白無しでフレームに入れられた6段掛けと3段掛けの変則的な展示。写真集で見る彼の作品の印象とはかなり違って見える。展示の場での写真の可能性。ソビエトの若手写真家の展示をしていたギャラリーでは、透明の袋にはいったオリジナルプリントが自由に見られるようになっていて、写真学生らしき若者達でにぎわっていた。日が暮れてカフェで一休みして時計を見るとホテルを出てからたった2時間しかたっていない。まわったギャラリーは6つ。港さんありがとう。

1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)パレ・ド・トーキョー入口
(右)当時の衣装もディスプレイされた女性の古い肖像写真展


1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)(右)準備中で一部公開のカルティエ・プレッソン展


 12月7日――パレ・ド・トーキョー(Palais de Tokyo)と市立近代美術館(Musee d'art moderne de la Ville de Paris)へ。パレ・ド・トーキョーでは女性の古い肖像写真展とオリエントの写真展のほかに、準備中のカルティエ・プレッソン展の一部を見ることができた。いずれも広い空間に壁を作り壁面の色を決め照明を取り付けて、といった手のかかった写真展である。準備中のプレッソン展で会場を作っているところを覗いた感じでも、ただ美術館の壁に企画した写真を羅列するのではなく、写真展を作るのが企画なのであるという姿勢が伺えたような気がする。市立近代美術館での「肉体の栄光と悲惨」展、肉体の写真がこうして一堂に集められると、案外ウィットキンの写真さえもさらっとしたものに見えてしまう。写真ならではの自由な組み替えと望むなら自在にできる意味付け。「栄光と悲惨」という大きなテーマへの収束と、写真の欲望としての組み替えの可能性の間で展示は躊賭していたようだ。いつも思うことだが、ある時期から肉体の隠ペい制度を持った日本からこうした写真をキーワードをもとに読もうとすると、写真と微妙に離れた「文化」とでも呼ぶべきことに行きついてしまうという不自由を感じる。同じ場所での美術館コレクションからのアートメディアに近い写真を集めた展示など、ここ十年程のそうした写真の傾向を一つの場所で見られたのが面白かった。

1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)「肉体の栄光と悲惨」展
(右)科学都市ヴィレット


 12月8日――科学都市と呼ばれるヴィレット(Parc de la Villette)ヘ。工事中の敷地に立ち並ぶ巨大なクレーンの向こうに屠殺場跡を使った会場が見える。市場のような大きな空間を使って仮設された三つの写真展。美術館・ギャラリーなどの平面的な天井とは違った広い空間での解放感が気持ち良い。午後オデオン座からモンパルナスの方へ歩いて写真展を5つほどまわる。地図と街にも慣れてきたので、大きく迷うことはなかったが、街並みがそろっているパリではすぐ近くに見える建物でも歩くと実際には時間がかかる。案内書に書いてある「パリの街は小さくその気になればどこへでも歩いて行ける」というような話を真に受けると大変だ。それは「その気になれる」人だけの話。日も暮れて最後のギャラリーを見つけ、ベルを押して中庭に入ると「都合により写真展は中止」(そんな意味だと思う)という貼り紙があり、展示は見られなかった。パリでは写真展が延期になったり延長したり中止になったりという話が良くあるらしい。一週間単位で動かなくてはならない日本から見るとうらやましい。

1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)ヴィレットに仮設された展覧会場
(右)ドアノーが撮ったルノーの自動車工場のドキュメント展会場


 12月9日――午前中ヴェルサイユ宮殿へ。午後から一人でギャラリーをまわる。セイタギャラリーの写真展はフランスの古い建築写真。ついさっき歩いていた街と古い写真に写っている街がほとんど変わらない。当り前だがホテル近くのノートルタム寺院などそっくり同じ。アンヴァリッドで第一次大戦の時の空撮写真展。気球から写真を撮っている人形なども使った展示、午前中に見たヴェルサイユ宮殿の空撮もある。70年前に撮られた写真を今見てついさっき見た現実の風景と重ねるという時間の入り混じった不思議な体験。もう一つ「コンセプトとイマジネーション展」を見て、バスに乗りホテルに向かう途中、リュクサンブール公園近くで写真展を見かけたので下車する。64年生まれの若い写真家の35ミリのスナップショットと中判カメラでの建物の写真。パンフレットに載っていなくても、写真月間に時期を合わせた写真展が結構あるようだ。

1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)オルセー美術館
(右)古い建築写真展(セイタギャラリー)


1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)第一次大戦の時の空撮写真展(アンヴァリッド)
(右)写真月間のパンフレットとパリの地図


 12月10日――ヴァンヴの「のみの市」へ。写真集・期限切れのフィルム・古い写真・古い木製の大型カメラ、そして古い絵葉書きや手札判の肖像写真があちこちで目についた。それらが、ごく自然に並べられ人々が目を向けている様子を見ると、ここは本当に「写真の街」なのだなと思う。写真が生まれた時からの時間を引き継いでいる街。

1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris 1989 パリ写真月間 Mois de la Photo a Paris

(左)(右)ヴァンヴの「のみの市」


 12月11日――今日はちょうど一週間目の日曜日。大部分の店、新開のスタンドさえも閉まって閑散としているパリの街を歩きながら、この一週間をぼんやりとふり返っていた。はっきり数えてはいないが半日は街をブラブラと遊んでいたというような歩き方で、30以上の写真展は見ただろう。なによりも企画に連動させた展示の風景が記憶に残っている。街に散りばめられる写真の展示――それを写真の見本市のように見て写真一枚一枚の質を問題にしたり、プリントの値段をうんぬんとしたりすることはとりあえずはしたくない気分だ。僕はこれから他の街に向かう予定だが、クリスマス前にはもう一度パリに戻って来ようと思っている。そしていくつかのギャラリーを、写真展をもう一度違ったペースで見てみたい。

 パリ写真月間は東京で無意識のうちに定位していた自分自身の「見る立場」をふり返る体験でもあった。パリを、あるいは東京という街をそして写真という迷宮を抱えながら、判断するのではなく隔離された「見る立場」という温室に閉じこもるのではなく、その日の速さを携えていくつかの写真展をもう一度見てみたいと思っている。