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[写真の規則7:写真的イメージについて/FILM ROUND GAZETTE 1989年10月号:11]


 あらゆる差異を、規則の内に一義的なものとして回収してしまう超越的な根拠。その規則の「内に」おいて思考するかぎり、その根拠は「解答不能」なものとしてある。また、それを同じ位相において「外から」思考する限りにおいては、無限に「新たな」超越的な根拠を生みだし続けるにすぎず、私たちはその体系から一歩も抜け出すことができない。というより、単純に外部に立つことが可能であるという問いの設定が、ある前提(超越的な根拠)に対して問いかけることを無限に延期してしまうことを不可避にしてしまうのである。超越的な根拠は、規則の「内で」しか直面しえないものであるにもかかわらず、それを明晰に語ろうとする営みはとりもなおさず規則の「外に」立つ(自らの言説が「新たな」超越的な根拠と化す)営みであるという困難に、ここで私たちは直面することになる。規則の「内」の問題にもかかわらず、その「内」では「解答不能」であり、その規則を明確に対象化しうる「外」に立つこともできないという二重の困難。ここで求められているのは、ある態度変更、あるいは、思考においてつねに実体的に概念を用いてやまない立場それ自体を反転することであろう。それは、内部において同時に外部を思考するという矛盾を、ある立場において(超越論的に)ではなく、超越的な意識において引き受けるということにほかならないはずである。
 しかし、なぜ、写真において、そのような意識の位相においての思考へとむかう契機が、常に実体的な概念のもとに還元されてしまうのであろうか。
 映像の氾濫などという決まり文句でそれを問題にするまでもなく、というより、それを問題として語ることを躊躇なくはじめてしまうほどに、私たちは写真に慣れ親しんでいる。写真の不可解さを言うときに、その背後にあり、そう言うことを可能にしている前提としての写真的イメージの存在。(じっさい、写真に驚きを感じるということは、写真的イメージというとらえどころのない「写真」の前提に保障されている。あるいは、写真的イメージという暗黙の前提を抜きに、私たちが写真に不可解さを感じるということがあるだろうか−そのように装われることはしばしばあるにしても)。見ることの内にではなく、その背後で問われることもなく「写真」を見ることを可能にしている、写真的なるもの。あるいは、見ることと写真機という機構との〈奇妙な〉重なり合い。
 知覚的認識の場合、対象物が先方にあり、認識主体がこちら側にあって、事物から発出した刺激が主体に到達し、主体内部の神経生理的過程を通じて知覚心像が形成される、と言うぐあいに考えられるのが普通である。
 知覚についてのこの通念的な観方を、著者は揶揄して「写真機モデルの知覚観」と呼ぶことにしている。
 写真機に擬られて、知覚の成立にとっては、既存の対象物が先ず在って、それの写像がが形成されるものとみなされる。
 (中略)
 認識としての知覚が成立するためには、写像の形成だけではまだ不足であって、形成されている“像”を“見る”意識の作用が加わることが必要だと考えられる。論者たちは、こうして、「対象−内なる像−それを“見る”意識作用」という三つの要因がそろってはじめて対象知覚的認識が成立する、と主張する。
 (『哲学入門一歩前』・廣松渉)
 論はこのあと、「写真機モデルが対象知覚という意識現象を説明するための比喩的装置として妥当しえない」ことにすすむが、そのことはさしあたりここでは問題ではない。ここで指摘しようとしているのは、その「普通」の「知覚的認識」において、写真を見るという営みは、「それを“見る”意識作用」を軸とした主体(写真を見る者)が、写真(対象−内なる像)を、もういちど対象(対象=写真−内なる像)として見ることである、という重なり合いである。また、その写真機モデルの対象知覚が、いつごろからどのように「普通」のものとなったのかを考察すること、写真機の(あるいはカメラ・オブスキュラの)出現がそのような知覚観に予告されたものであるか、あるいは、写真機が知覚観をそのように組み替えたのかという関連を考えることも、ここでの課題ではない。問題にしようとしているのは、現在、その重なり合いが、自明のことと取りあげられることもなく、というよりむしろ、そのことに焦点をあて、ことさら取りあげることを可能とするようなものとして、なんの厚みも重さももたずに、とらえようもないものとして背後にあるということである。そのことに、驚きも、不可解さも感じないような〈奇妙な〉ものとして。
 しかし、いざ知覚について実際に議論し始めると、どうしてもカメラ・モデルで事態が思い浮かべられてしまうのが常である。
 (中略)
 動物に対象物を見させた直後に屠殺して網膜を取り出し、一定の科学的現像処理をすると、そこに像が現れることも知られている。眼の水晶体が一種の凸レンズであることも容易に確かめられる。「眼球−網膜」の“結像”機構はまさに写真機とそっくりである。このことまでは確かに事実であり、誰も否定できない。
 (同前)
 じっさい、このことを、不可視の前提として、視覚と写真機を配置した言説がどれほどあることだろう。写真において、ときには単純に、ときにはこみいった論として、視覚と写真機の組み合わせが変奏され続けてきたことを思いおこすのは、さほど難しいことではないだろう。
 写真は私たちが思っている以上に歴史的な認識の転換を促したのであり、まさしく視覚の革命だったのである。写真の登場によってものたちは、私たちの知覚を越えて喋りはじめた。
 (中略)
 写真は本質的に伝達の道具であるよりは、認識の道具である。見るということは、いかなることかを学ぶ道具だ。
 (『日付のある写真論』・西井一夫)
 写真は網膜上の印象を変換することによって体 験する人間の視覚ではなく、それとは異なる視覚のあり方を示していたのだが、初期に使われた対 物レンズが人間の肉眼と同様な欠陥を持っていたこととも関係して、19世紀人はたちまちその手段 をそれまでの自分たちの見ることのルールに適応するように人間化してしまい、長い間その溝を覆 いかくし、そのズレを認識せずにすませていた。
 (中略)
 しかし世紀末から20世紀初頭のごく短い期間に、写真という機械の様々な眼がいつのまにか環境自体を構成し、都市社会を性格づけ、雑多な形象や回路を発生させていることに人々が気づき始めると、写真はようやくその新しい世界のあらわれ方を強調するようになり、古い感覚生活の偏向と置き代えをオートマティックにすりぬけるその機械性を明瞭にしていった。
 (『20世紀写真史』・伊藤俊治)
(この項つづく)