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[ON THE BOOKS8:80年代の潮流は"撮るから作る"に―写真の可能性を探る「メーク・フォト」。/アサヒカメラ1989年8月号:100-101]


 80年代の写真のおおきな傾向として、テイクからメイクへ、撮る写真から作る写真へ、ということがある。80年代の写真をふりかえる意味も含めて、そうした傾向に照準を合わせた写真集をまとめて紹介しようと思う。

 ひとくちにメイク写真と言われる写真にもいろいろある。それらを集めて手際よく分類しているのが『FABRICATIONS』だ。FABRICATIONとは、構成・作りごと・でっち上げなどという意味。「物語のタブロー」「ポートレイトとセルフポートレイト」「静物の構成」「イメージと言葉の流用」「手を加えたプリントとフォトコラージュ」の五章にわけて、メイク写真を分類している。

 『FABRICATIONS』と同時期に出版されたのが、『PHOTOGRAPHY AND ART(写真と美術)』。<1946年からの相互影響>という言葉が示すとおり、写真と美術との境界での作品に焦点をあてている。7章のうち、4・5章の「型を破る−テクニックとプロセスの実験」「コンセプチュアルアートと概念の写真」が70年代の写真に対応し、六・七章の「スタジオで−構成と作り話」「ポストモダン時代の写真文化」が80年代の写真に対応している。これを見るとメイク写真というのは、なにも突発的な現象ではなかったことがわかる。

The Photography of Invention: American Pictures of the 1980's  そうした流れをうけて編集されたのが『THE PHOTOGRAPHY OF INVENTION』。ここでのINVENTIONとは発明という意味だけではなく、捏造という意味もある。前の二冊のように、分類や章だてはなく、80年代に写真の可能性を拡大していくような作業をしてきた、アメリカの作家90人の作品を集めた本だ。これまでの写真を検証するというより、写真発明150周年に当たる80年代最後の年から、これからの可能性を見ていこうとしているようだ。

 ここまでの3冊は厚くて重い本だが、こうした新しい傾向を見ることができる、手軽な本が出版された。おなじみフォト・ポシュ・シリーズの38巻『DE LA PHOTOGRAPHIE COMME UN DES BEAUX-ARTS(美術としての写真)』がそれ。本は小さいながらも、アメリカ・ヨーロッパでの写真と美術との境界領域での作品がフォローされている、たいへん目配りのきいたセレクションだ。

 日本でのそうした傾向の写真を集めた本はないのだろうか?『現代美術になった写真』(栃木県立美術館)のカタログがある。日本で活躍する小山穂太郎・森村泰昌・五井毅彦など15人の現代作家の作品が集められている。

 こうしていろいろな作品を集めた本を見ていると、それらの作家が急に80年代になって登場するように見えてしまう。しかし、ほとんどの作家にとっては自分なりに続けてきた作業が、今そうした文脈に置かれているにすぎないわけだ。

Samaras: Photographis, 1969-1986Aras (Aperture Monograph)  例えば、ルーカス・サマラス(Lucas Samaras)。『SAMARAS PHOTOGRAPHS』は70年代からの彼の仕事を集めた写真集だ。美術家でもあるサマラスは主にポラロイドを使って作品を作っている。乳剤に手を加えたり、写真を切ってパノラマにしたりと、写真を素材に楽しんでいるのがよくわかる。被写体はずっと自分自身や、まわりの人や、家の中だけなのだが、彼の作品には遊び心がつまっていて、広がりがある。

 クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)は、フレームに収めた肖像写真に、一つ一つ電球で光をあてるというインスタレーションをする。彼も美術家だが自分の作業を展開していくなかで、現在のようなスタイルへと変わってきたわけだ。誰でも見たことのあるような、スナップや集合写真の肖像が、彼の手にかかると人間の生や死、人生を思いおこす作品に変わってしまうのだから不思議だ。『LESSONS OF DARKNESS』はアメリカを巡回している展覧会のカタログだが、フランスで活躍するボルタンスキーの静寂な作品は、国際的にも高い評価を受けている。

 ニュージーランド生れで、イギリスで活躍するボイド・ウエッブ(Boyd Webb)は、スタジオの中で虚構の世界を作り上げる作家だ。カタログ『BOYD WEBB』に載せられている写真は、どれも単純なセットで撮影されている。しかし、単純なだけに、写されたパラドキシカルな世界はインパクトがあって、思わず私たちが生きる世界の不確かさまでも考えさせられてしまう作品だ。

 こうして80年代のメイク写真をふりかえってみると、どうやらそれを、単に手を加えた写真の流行ととらえるのはまちがえのようだ。それは、被写体を重視する現場主義の思考の写真から、どのように写真をあつかうのかというプロセス重視の写真への移行と考えたほうが良さそうである。そしてその結果、作家の個別性が重視されたはじめたことで、世界の写真が、アメリカ主導から、各国のさまざまな作品に目が向けられるように変わってきたのである。