texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[ON THE BOOKS7:鈴木清『流れの歌』展/アサヒカメラ1989年7月号:123]


−「美しい書物の中では、人々がつくり出すすべての誤読がすばらしいのである」(プルースト)−

 過去のものとしてうやうやしく扱われたりすることもなく、かといって忘れ去られることもない、「歴史」という秩序に収まることのない本。過去や未来といった時間に安住する記憶ではなく、出来事としての記憶のみが写真を契機に組み替えられ、重ねられ、「解釈」という名の洞窟から逃れ続ける写真集。鈴木清の写真集『流れの歌』は、そんな夢のような本に違いない。

 初めての写真集『流れの歌』の出版から、17年の年月を隔てて開かれた同名の写真展流れの歌』(FROG4月25日〜5月7日)もまた、そのような本の豊かな在り方のうえにあると言ってよいだろう。17年を経た後での写真展といっても、それはいわゆる「回顧展」とはまったく異質であった。写真展ではAnalogy ・Black&white ・Contact-theory・Drama ・Essence という5つの言葉をもとに写真が組み替えられており、様々な大きさの写真が、壁にちりばめられ、吊るされ、床に置かれていた。5つのキー・ワードはここでは解釈への手がかりでは全くない。むしろ、一つの解釈に写真が収められてしまうのを拒み続け、「人々がつくり出すすべての誤読」に写真を解き放していくための契機としての言葉である。写真集はテクストとして写真展へと読み変えられ、現在へと投げ込まれたのである。

 「こういうことが出来るっていうのが、自費出版の強みでもありますよね」と、これまですでに4冊の写真集を自分で編んできた鈴木さんは言う。写真集をテクストとして自身で読み変え、写真展を組織すること。そのような契機であり得るような写真集を作ること。それは、なんと豊かな写真の営みであろうか。

■鈴木清写真集『流れの歌』(1972年)1500 円