texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[混色の光を浴びて/鈴木清写真集『夢の走り』1988年9月刊・巻末テキスト]


  街から街への一瞬の移動を。そのための遊戯的な精神とともに。モノクロームの銀粒子も光沢の一層下に待ちうける原色も浮遊をさまたげはしないだろう。
 十一月という季節のある日に鈴木清の写真がちりばめられた回廊で(1)、街と街とを、そして写真と記憶とをうつりゆく反復を、まさにその場所に居合わせられたという幸運として楽しんでいた。二十年という歳月のなかで生み出されていったという、床に置かれ、壁に吊るされ、そして陽の当たる中庭に日光に怯えることもなくさらされていた数々の写真は、時間の積み重ねといった重ささえ欠いており、それゆえに見る者は写真と自己の記憶との中点に宙吊りにされるほかはなかった。そう見る者は、重力の変化の心地よさに思わずその場所を水路と比喩してしまいそうになるが、水の抵抗も失っているその空間は引力が二分の一となった回廊として記憶の錯綜を演じていたのである。
 写真の銀粒子にも突然投げ出されている色たちにもついに受け止められることのなかった視線は、見る者の記憶のなかへと回帰し、過去に見た鈴木清の写真をそのときの時間をよみがえらせるものとして働きはじめ、『荼毘の赤』(2)を見ていたときの己の感情を、そのときには「reason to believe」(3)が会場を流れていたことを、『夢の走り』(4)を見たときに示された時間と場所の混乱とを、やけに鮮明に思い出すのだが、しかし向けられた視線は、回廊にちりばめられた写真に、でしかないことにあらためて気づく時、焦点すべき位置を失いながら時空間の入り交じった宙のあらゆる位置に焦点を合せはじめた己の視線は、見ることの困難をまさによろこびとして受け止めていた。たとえば記憶の街と写真を繋ぐものは川であったりもした。YOKOHAMAとKAWASAKIを分かつものとして流れているその川は、最も汚染された川のひとつとしての特定の名称も持ってはいるがそんなことは差し当りどうでもよい。台風が過ぎ去り上昇した水位により緑が流された褐色の背の高い草、川面と草根とのあいだにあらわれた土の断層の美しさが、濁った水面に反射する光のひびきが、視線と土手に寝転ぶ男の写真を結んだ線の向こうをとおりすぎていったのは写真と記憶との折り重なりではなかったのか。PUSANは埃の街だ。遠近感の消失点としての山と塩分の強い海との間に浮遊する塵のなかを、写真家という特権的な名前さえまだるっこしさのあまり置き忘れてきた、ひたすら通過していくものとしての写真機をもった男をモノクロームの銀粒子のむこうにみたとき、はじまりも終わりの点ももたずに荒れた土地を真青な空の下を歩きつづける男の映画が視線の焦点板に投映されてしまうのを止めることはできなかった。橋のうえで舞踏する者の感情の震えはなにに向かって。彼もまた街の混色の光をあびて通過していく者ではないのか。過剰に折り重なる記憶に夢中に回廊を二まわりほどした時か、テープレコーダーから流れていたロックンロールのライヴ盤からは「疾走するために生れてきた」(5)というメロディーがながれている。
  S STREETのなかの街もまたありうべくもない幸福の遭遇の瞬間を口実として語られているものなのか。街を通過していくなかで繰り返し投映される出会い。そのなかで街も記憶へのすべりこみをはじめ、写真は夢という言葉との、媒介物を欠いた出会いをも演じているようだ。ここで語られる7つの街もまた、はじまりも終わりもない線の上にとあるのだろう。写真機をもった男がとおり抜けた街路の痕跡としての線の上に。疾走のなかでおとされ7つの街を浮遊する銀粒子はまた7つの街を浮遊した男の反映でもある。見る者が位置すべき場所もどこにもありはしない。通過のなかで不確かな視線をむけることを、街と街との間を擦り抜ける者として。街から街への一瞬の移動を。いかなるものにも繋ぎ止められることのない己の物語の街と鈴木清の写真の街に折り重なる層を走り抜ける者として。

(1)写真展『天地戯場』[1987←1968]('87年11月)
(2)写真展『荼毘の赤』('85年11月)
(3)辛い一日の終わりになぜ人は信じる理由をみいだせるのか――ブルース・スプリングスティーン『生きる理由』
(4)写真展『夢の走り』('86年11月)
(5)ブルース・スプリングスティーン 『BORN TO RUN(明日なき暴走)』