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[夢の書棚:インターネットで人気のブログが写真集として登場・石井哲『工場萌え』/日本カメラ2007年9月号:171]


工場萌え 『工場萌え』という写真集が話題になっている。正確にいえば、もともと『工場萌えな日々』*1という人気ブログがあり、写真集になる前から話題性は高く、昨年末にはDVD『工場萌えな日々』が発売されており、今年はじめには写真展も開催、『工場萌え』はそれに続く出版ということになる。

『工場萌えな日々』の管理人、wamiこと石井哲は、2004年11月02日のブログで、工場を撮りはじめたきっかけを、次のように書いている。

「他の人の撮った物を眺めるだけではなく、下手なりにも自分で写真を物にしたいと思い立ち、生まれて初めてのデジタルカメラを購入してみる。他の人の撮った物だとどうしても微妙に興味の対象が違ってしまい、中々痒い所に手が届くような写真に出会えない・・・と言うのが最大の理由」

ドイツのベッヒャー夫妻の写真が好きという石井氏が、自分で写真を撮るようになったのは自然ななりゆきでもあっただろうが、その写真が、これだけの反響を呼ぶようになるのは、デジタル時代、インターネット時代ならではの現象だろう。

銀塩、アナログ世代にとって、デジタルやインターネットというのは、ひょっとしたらまだ何となくいかがわしい、とまではいかなくても、正統派の表現とは別物というイメージがあるかもしれない。しかし例えば、プリントをオリジナルとして展示するのを正統派とするなら、そうした表現方法が日本で一般化したのは、たかだかここ2、30年にすぎない。正統な表現方法が固定せず、時代によって多様なメディアと結びついて展開するのが、写真表現の醍醐味でもあるのだ。

インターネットの普及にしたがって、爆発的に増加したのは、文字と画像による情報である。極論すれば、写真はシャッターを押せばいいので、書かなくてはならない文字よりも、敷居が低い。といっては語弊があるだろうが、急速に低価格化、高性能化したデジタルカメラが、その傾向に拍車をかけていることは否めないだろう。インターネットと写真は、ひじょうに親和性が高いことが明らかになってきたのである。

敷居が低い、ということは、レベルが低いということではない。大量の写真が発信されるということは、自然に切磋琢磨されるということでもある。同じようなモチーフを扱ったサイトでも、いい写真が載っているところは人気が高まる。それを見た人が、さらに学習する。逆に、急激にレベルが高まっている側面もあるのだ。じっさい、さまざまなブログを見てまわっていると、くろうとはだしの腕前の写真も数多い。

そうしたブログを見ていて感じるのは、インターネットでは見せないとか、あえてインターネットで見せるとか、インターネットと作品を対立的に考えている旧来的な表現観の、あまりにナイーブすぎるスタンスでもある。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に立ち上げられた、石井氏が管理人を務めるコミュニティのメンバー数が8000人を超えていることに象徴されるように、『工場萌えな日々』をはじめとした、優れた写真が載っているブログで印象的なのは、共通の興味を楽しむという雰囲気である。この雰囲気は、作品/鑑賞という関係にしばられた旧来の表現観とは対照的だ。

石井の写真は、ブログやコミュニティで惜しみなく発表されてきたが、だからといって写真集への関心が低まることはなかった。そうではなく、インターネットで発信され話題になったからこそ、写真集への関心も高まったのである。

小説やエッセイといった文字メディアでは、こうした流れがひとつの在りようとして当たり前になりつつあるが、『工場萌え』という写真集の出版は、写真メディアでも同じような流れが生まれつつあるのではと感じさせる出来事でもある。

*1 http://d.hatena.ne.jp/wami/