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[書評:現代写真の雄が写真のリテラシーを著す・スティーブン・ショアー(Stephen Shore)『The Nature of Photographs』/日本カメラ2007年9月号:173]


The Nature of Photographs 『The Nature of Photographs』は、アメリカの現代写真家、スティーブン・ショアーが、古今東西のさまざまな写真を例にとりながら、写真の見方、読み方を説いた写真集である。今風の言葉でひとことであらわすなら、写真のリテラシーをめぐる本だといえよう。

本書のページをめくって写真だけを眺めてみても、なぜそれらの写真が取り上げられているのか、ほとんど見当がつかないに違いない。では、そこに記された文章を読めば、それなりに理解できるかといえば、そうとも思えない。文章自体は、中学・高校程度の英語で理解できる平易な文章で書かれているので、難しくはない。では、なぜ本書は、理解しがたいのだろうか。

日本人は感覚的にものを捉えるのに長けている。そして、その感覚を生かして、さまざまな文化を移入してきた。写真表現もその例外ではない。とりわけ60年代以降は、いろいろな写真表現を感覚的に移入し、それにインスパイアされてきた。今日では、日本の現代写真も、影響を受けたもとの写真よりも洗練されているといっていいほど、成熟してきた。

感覚的に見るということは、文脈を超えてわかってしまうということである。そうした感覚からすると、『The Nature of Photographs』で展開されている写真の見方は、まだるっこく、野暮くさい。わかったあとに、その理由をくどくどと説明されることほど、苦痛なことはない。おそらくこれが、本書を理解しがたく感じる理由だろう。

とはいえ、野暮ったいほど懇切丁寧に写真の見方を説くことは、アメリカ現代写真の文脈が、圧倒的な国際的影響力をもっている理由でもある。これを裏返せば、日本の現代写真の作品が評価されることはあっても、文脈が影響を与えることはほとんどない理由ということになる。

文脈と感覚は、本来、メビウスの輪のように結びついているはずのものだ。しかし、洗練され、成熟した日本の現代写真にとって、文脈はもう不要のものなのかもしれない。『The Nature of Photographs』が反語的に照らし出しているのは、このような日本写真のローカルな特徴でもあるように思える。