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[夢の書棚:大阪を撮った写真は100年後も生き残る・あたかもアジェのように・太田順一『群集のまち』/日本カメラ2007年8月号:171]


群集のまち 太田順一が大阪24区を撮った新しい写真集、『群集のまち』に収められているのは、つまらない、どうでもいいような写真である。

誤解されないように、急いで付け加えておこう。この、つまらなさ、どうでもよさは、途方もなく大きな可能性を感じさせるものである、と。

もともと太田は、しっかりとしたテーマのもとに撮影を積み重ねる写真家で、その成果として出版された写真集も少なくない。つまり、どうでもいいような写真を撮るような写真家ではない。したがって、これまでの写真と、本書の写真のあいだには、明らかな転回がある。太田は、この転回について、次のようにいっている。

「…私は次に何を撮ったらいいのか分からなくなってしまった。そんなことは初めてだった。それまでは、ひとつのテーマを追いかけると、自然と次のテーマが自分のなかで用意されてきていたのに。しんどい日が続いた。動悸が急に激しくなってきて、居ても立ってもいられないほどの焦燥感に襲われる。これも初めて味わう心理地獄だった。もともと私はこつこつとするマイペース型であるだけに、自分でも驚いた」

そうした状態のなかではじめたのが、アジェをまねて、大阪の24区をすみずみまで歩くことである。

「夜、区分地図を広げて、その日歩いたところに色を塗る。それが何日も続いていつしか地図は塗りつぶされ、ひとつの区は完了する。妙な満足感が得られるものだ。写真を撮るために歩いているのか、ただ歩くため、つまり色を塗るために歩いているのか、分からなくなってくる」

アジェは、孤独・貧困・無名といった伝説によって神話化されていた。しかし、その後の研究で、じつは作家性にもとづいて活動していたわけではなく、顧客のニーズに応じて仕事する商業写真家だったことが明らかになってきたことを、太田は書いている。

一世紀も前の作家であるにもかかわらず、今日でもアジェの写真は、たびたび注目され、参照される。要するに、今日でも生き生きと残っている稀有な古い写真だ。写真が発明されてから今日まで、膨大な数の写真が撮られてきたが、21世紀になってはっきりしてきたことは、意外なほど古い写真が残らないということである。かつて貴重だといわれた歴史的な写真ですら、なかなか残らない。あるいは残っていても、写真史のなかで生気を失っている。

それに対して、アジェの写真は、なぜ今日でも生きのびているのだろうか。伝説化され繰り返し再評価されたことや、歴史的な偶然など、その理由は単純ではないだろう。しかし、ひとつだけ確かな理由は、アジェが撮ったのが、つまらない、どうでもいい、とるにたらないような写真だったことではないだろうか。

写真を撮るのは、何かを残したいからだ。それゆえ、すべての写真は、何らかの意味で貴重である。しかし、いまここで貴重に思えたものが、百年後も貴重であるとは限らない。百年どころか、数十年ですらあやしいものだ。時代によって価値は変わる。貴重であればあるほど、価値がないものになるという逆説が生まれる。

本書の写真は、そうした現在の貴重さから遠く離れているように見える。だから、いまここでは、どのように見ていいのかわからない。このわからなさを、強いて言葉にすると、つまらない、どうでもいいような写真ということになる。

「百年後をも思いシャッターを押した」と、太田はいう。現在を歩き、未来を思う。その思いのなかで、未来に可能性がゆだねられる。『群集のまち』がしめすのは、いわゆる表現の可能性とは次元のちがう、時間にかかわる可能性、無限の可能性なのである。