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[書評:時間がたっぷりあった そんな気がした昭和三十年代・町田忍『昭和レトロ博物館』/日本カメラ2007年2月号:175]


昭和レトロ博物館 写真を撮るのがもったいない、そんな時代があった。昔は、フィルムや現像代が高かったのである。カメラを買っても、持ち歩くのは旅行や七五三など、イベントがあるときだけ。持っていっても、パチリと1枚撮ったらすぐしまう。だから、なかなかフィルム1本を撮り終わらない。正月から年末までが写ったカレンダーフィルムなんて言葉もあったくらいだ。

カメラだけではない、ステレオもそうだった。買ったものの、レコードが高い。持っているレコードは数枚だけだったりした。電話もそう。やっと家に電話が設置されたのはいいが、長話などは厳禁。無駄話をしていると、すぐ切れとしかられる。通話代が高かったのだ。

今の物価からすれば、いずれのモノもかなり高かったに違いない。それを背伸びして買っていた。だから使う金がない。使うのももったいない。金があるのかないのか、よくわからない時代だが、こんな感覚がごく普通だった時代があったのだ。

庶民文化探求家・町田忍の『昭和レトロ博物館』は、そんな時代のはじまり、昭和30年代の日常を紙上に再現したものである。著者秘蔵の資料が、「人々の暮らし、娯楽」「学校生活・遊び」「心なごます街の風景」「懐かしの乗り物」の4つの展示室で展開されている。昭和30年代の写真ブームとカメラについては、次のように書かれている。

「写した白黒フィルムは近所の写真屋さんへ持っていき、現像してもらった。…当時は、写真を見られるまで数日かかったが、だからこそ、写真を受け取りに行くのが待ち遠しかった。写真を撮るという行為は、まだまだ非日常の時代なのだった」

あとがきで町田は、昭和30年代を振り返ると「原っぱ」が思い出される、と言っている。金があるのかないのか、よくわからない時代だったが、時間と空間だけは、たしかに今より豊かだった。カメラも日常的には持ち歩かない。持ち歩いてもほとんど撮らないのだから、忙しくないのだ。

たまにはシャッターを切る手を休め、『昭和レトロ博物館』でそんな時代に思いをはせ、カメラと自分の関係を考えてみるのも悪くない。