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[夢の書棚:1960年代以降の最も輝いていた東京が立ち現れる・『西新宿定点撮影・脈動する超高層都市、激変記録35年』・田中長徳『トウキョウ今昔1966・2006』/日本カメラ2007年1月号:179]


脈動する超高層都市、激変記録35年 西新宿定点撮影 『西新宿定点撮影 脈動する超高層都市、激変記録35年』は、タイトルのとおり、西新宿超高層ビル街の、1969年7月から2004年7月までの定点撮影写真をまとめたものである。

この写真が展示された2005年1月の展覧会では、1日約1,000人が訪れ、3月にアンコール展が開かれるほどの大きな反響があった。予想していた建築家や都市計画家といった専門家以上に、一般の人の関心を呼び、老若男女を問わず、スタッフに思い出を語る人や、アンケートに熱心に書き込む人も多かったという。

写真集を見ていると、そうした来場者の気持ちがよくわかる。私自身は、今はなきガスタンクが写った写真を見たとき、胸にこみあげてくるものがあった。貯めたお年玉を持って、緊張に汗ばみながら上京し、ヨドバシカメラではじめて買い物をした日を、くっきりと思い出したのである。そうしてひとつの場面が心のなかで蘇ると、次々と記憶の糸がつながっていく。いっけん無味乾燥な超高層ビル群だが、形を変えていく西新宿のスカイラインは、個々人の思い出の形でもあるのだ。

中西元男の発案による、この定点観測プロジェクトの興味深いところは、山田脩二、垂見健吾、田中一光、嶋村秀人という複数の人間が撮影していることである。さまざまな記憶のスカイラインは、バトンを引き継ぐように撮影されたと考えると、写真がさらに感慨深く見えてくる。

ところで、定点観測のおおもとになる画角設定をした初代カメラマン、山田脩二は、撮影が開始された69年、左翼の学生と間違われて機動隊に殴られ、小田急ビルの最上階から西口広場を撮った日のことを、次のように振り返っている。

「真下で続く騒乱とは別に、静かな間近な西側に今後、高層ビル群が立ち上がってゆくのか……と、充血した顔と、少々朦朧とした目で眺めていました」

トウキョウ今昔1966・2006 そんな69年に、大学在学中に銀座ニコンサロンで初個展を開いた、早熟の写真家がいた。田中長徳である。62年から69年にかけて撮影した初個展の頃の写真と、対比的に撮った2006年の写真をあわせて編んだのが『トウキョウ今昔 1966・2006』だ。60年代らしくデモの写真が多く収録されているのだが、そうした時代について、田中長徳は対談のなかでこう言っている。

「今思うと、東京は結構貧しかったことは貧しかったんですけど、ただ人間がね、よく言われることだけど、割と生き生きしていて、活気があって。それとね、やっぱし見て何が面白いかというと、連日のようにデモが東京にあったんです」

デモがあると野次馬としてカメラを持って行ったという田中にとって、デモとは揺れ動く街を撮るきっかけでもあったわけである。それに加えて、街が写真に撮られるためには、もうひとつのきっかけがあったように思う。「当時、舶来品のトライXは一〇〇フィート巻きが三六〇〇円もした」「一〇〇フィートのモノクロフィルムは充分に高価だった」と田中は振り返っているが、それでも学生が何とかカメラとフィルムを手に入れて街を撮れるようになった時代が、60年代なのではないだろうか。

プロジェクトによる『西新宿定点撮影』と、個人のまなざしによる『トウキョウ今昔』は、対照的なアプローチで作られた写真集である。しかしそこには、変化する街を写真で捉えるという視点が通底しているようにも感じられる。じっさい60年代には、大量の街の写真が撮られはじめているはずである。

だとすれば、これからさまざまな企画によって、60年代以降の写真を見る機会が、続々と生まれてくるのではないだろうか。3、40年を隔てた大量の写真を見るという体験は、これまでになかった、まったく新しい体験だ。そう考えると、期待でわくわくしてくる。