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[夢の書棚:30年以上も持ち続けた情熱を結実させた・榊晃弘『ローマ橋と南欧石橋紀行』/日本カメラ2006年9月号:213]


スペイン、ポルトガルを中心に、南欧の石橋を撮影し、日本ではじめて包括的に紹介した写真集『ローマ橋と南欧石橋紀行』が出版された。その作者、榊晃弘は、土門拳に会って、撮影への思いを強くしたときのエピソードを次のように語っている。

〈私にとって、土門拳氏といえば雲の上の存在で、そんな巨匠にお会いして、私は夢を語った。「今、眼鏡橋を撮っています。石橋の歴史的な体系化をライフワークとしてやりたいのです」。その話に、土門氏は「それは良いテーマだ。橋を文化という視点でとらえ、そのルーツを探る取材をやってみてはどうか」と言った。背中を押されたことで思いはますます強まった〉

この交流のきっかけは、古墳壁画を撮った写真で、1973年に新人賞を受賞した榊に、土門の方から会いたいという手紙が届いたことだという。土門ならではの行いなのか、あるいはかつては写真表現にもこうした情があったのか、いずれにせよ感慨深いエピソードである。しかし、それよりもさらに感慨深いのは、交わした言葉をあたため、いささかも色あせることのない思いを30年以上も持ち続けていた、榊の情熱である。

そうした榊の情熱については、塩見桂二が本書に寄せた文章に、さまざまな逸話が記されている。「装飾古墳を守る会」の事務局長を務め、三木武夫内閣の永井道雄文相に面会し、九州の装飾古墳の保護対策に国家予算の支出を約束させたというのも、そのひとつだ。自分の仕事を閉ざすことなく、文化の広がりのなかで写真を思考する姿勢が、よくあらわれている話ではないだろうか。

榊は、95年に定年退職するまで会社勤めを続けていたので、長期の海外取材はままならなかった。だからといって、手をこまねいていたわけではない。眼鏡橋、歴史の町並み、「田の神さぁ」と呼ばれる農神の石像など、九州地方のモチーフを着々と撮影し、まとめていたのである。いずれも、榊ならではの独自な視点による、文化的にも重要な仕事だと言えよう。

そして、定年退職を待って、いよいよはじめたのが橋のルーツを探る旅である。中国への撮影行は八回を数え、現在も継続中だと言う。南欧旅行はなかなか実現しなかったが、人の縁がつながって現地での撮影協力者と出会え、2003年から撮影をはじめ、本書へと結実することになった。榊はこう言っている。

〈思い通りの写真が撮れるかどうかは、やはり人の縁が大事だと感じる。その意味で私はずいぶん幸運だ〉

たしかに、運もあるだろう。しかし、その幸運や人の縁は、榊が呼び寄せたものでもあるのではないだろうか。撮影のエピソードや経緯を読んでいると、そう思わずにはいられない。榊の発想には、できない言い訳というのがいっさいない。例えば、古墳壁画の写真では、20キロを超す照明用バッテリーを3つも運び込み、単独での撮影を繰り返している。また、南欧撮影旅行では、海外の専門書を入手し資料をそろえ、連絡でメールを使うためにパソコンも覚えている。いずれの場合も、撮れない理由も山ほど考えられたであろう。だが榊の場合は、まずはじめに、できるという発想があり、粘り強く実現へと近づいていく。そして、実現へと近づく道のりで、その発想、その情熱、その仕事に動かされた人々が励まし、助けているように思えるのである。

写真一枚を撮るのは、あっという間だ。しかし、その一枚を撮るのは、容易ではないことも多い。だからこそ、やりがいがあるとも言える。榊の仕事が意義深いのはもちろんだが、そこにいたるまでの道のりもまた、敬服に値するものであろう。この意味で本書は、写真を撮る者にとって、大いに刺激になるものでもあるに違いない。