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[書評:アマチュアカメラマンこそ写真の楽しみを知っている・宮嶋康彦『脱「風景写真」宣言・二〇一〇年の花鳥風月』/日本カメラ2006年6月号:199]


脱「風景写真」宣言二〇一〇年の花鳥風月 写真家・宮嶋康彦による『脱「風景写真」宣言 二〇一〇年の花鳥風月』と題された本書は、そのいささか物々しい題名にもかかわらず、ひじょうに読みやすいエッセイ集である。率直な問いかけ、飾りのないエピソード、歯切れのいい文章は、親しみやすく、とても身近に感じられる。例えば宮嶋は、このように言う。

〈画面に電線が入ろうとガードレールが写りこもうと、それほど気に留めない。しかし、これを阻むものがある。編集者やクライアントのNGである。これには妥協するしかない〉

ありふれたエピソードだが、なかなかこのようにはっきりと書けるものではない。あらためて書くまでもない暗黙の了承であり、暗黙の了解を妥協とは認めたくないからである。しかし、あっさりと妥協を妥協と書く宮嶋は、その妥協の本質を明快に照らし出す。

〈このときほどアマチュアカメラマンが羨ましく思われることはない。もしもあなたが、花の美しさに惑わされないよう、電線や電柱にも邪魔をされないとしたら、一面で花のプロカメラマンを超えている。プロは様々な制約を受けるからだ。夾雑物を外すと同時に、写真の楽しみを切り捨てるのである〉

このような鋭い考察に満ちている本書を読み終えたときには、風景写真についての考えが一変していることだろう。そして、『脱「風景写真」宣言』というタイトルが、物々しいどころか、じつに本書にふさわしいものであったことに気づくだろう。

本書で展開されているのは、本来的な意味でのエッセイ、つまり、ごまかしのない試論であり、実践的な思索である。宮嶋は、次のように述べている。

〈自然を撮影するカメラマンは常に美しい対象と向き合っている。しかし、それだけでは足りない。それがなぜ美しいのか、考えを重ねることが写真表現の大事である。何度もいうが写真の幸福は思索の果てにあると信じている〉

思索の果てに誘われ、写真の幸福に触れた読者は、いつのまにか未来の風景写真を切り開くひとりになっているに違いない。