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[書評:幻想的な作品は危うい魅力に満ちている・所幸則『天使に至る系譜・CHIAROSCURO(キアロスクーロ)』/日本カメラ2006年5月号:199]


CHIAROSCURO 天使に至る系譜 本書は、1980年から2005年に至るまでの、所幸則の作品を編んだものである。日本を代表するデジタルフォトグラファーと紹介されることが多い彼の幻想的な作品は、広告や雑誌などでおそらく誰もが見たことがあるだろう。

写真にたずさわっている人が、本書を見てまず思うのは、これはどうやって作っているんだろう?やっぱりバリバリにデジタルなのかな?ということではないだろうか。このデジタルによる作り込みということについて、所は初写真集を出した頃の、ちょっと面白い話を書いている。

〈その当時、だれもぼくの作品のどれがデジタルかアナログかなんて見破ることはできなかったんですよ。有名な写真評論家も美術評論家もCG評論家も写真雑誌の編集部の人たちも。よく完全にアナログな作品がデジタル写真として紹介されていたりした。「どれも所幸則じゃないの?」っていうことは見破ってもね(笑)。アナログでもデジタルでもそんなことどうだっていいのにと思っていたけど(書きたければ聞いてくれればいいのに)〉

幻想的なイメージを視覚的に表現すると、陳腐になることが多い。イカのような宇宙人のように、真剣に描けば描くほど、既存の映像のパロディになってしまうのだ。その点、所のセンスは卓越している。チープで陳腐な既存の映像を先取りしてしまうことで、逆に作品は、絶妙なバランスを保った危うい魅力に満ちたものになっている。これほどの感性と才能を持っているなら、〈アナログでもデジタルでもそんなことどうだっていい〉という言葉にも素直にうなずけてしまう。

それだけでなく、本書に収められた作品は強烈なオリジナリティに貫かれている。これは、比類なき感性と才能が、ユーモアに彩られているからだと思う。あまり関係ないかもしれないが、所の文章は(笑)――カッコワライが多い。カッコワルイと一文字違いのカッコワライなユーモアが、何ともオリジナルでダサカッコイイ、そんな感じが作品にもあるのである。このダジャレのような説は、聞いてみたわけではないけど、なかなか当たってるんじゃないかな、と思うのだ(笑)。