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[contemporary9:幻のもうひとり(1999年のサロン)/photographers' gallery 2005.12.21:http://www.pg-web.net/]


2が2を作り出すために1を完成させるのではなくて、1の存在を許すために1を繰り返さねばならない――ジャック・ラカン
 はたして、誰が1999年を知っていると言うのだろうか。
 むろん1999年という年なら誰もが知っているだろう。しかし、何の予告もないまま、暗黙に、唐突に、かつ公然とサロンが開催された1999年を、はたして誰が知っていると言うのだろうか。
 コンテンポラリーのサロンとは、いかにも奇妙ではある。この現代に、同時代に、コンテンポラリーというその場所に、サロンが回帰してくるというのは。いや、あるいは、サロンという場所に、コンテンポラリーが帰還したのであろうか。コンテンポラリーとサロンは同語反復であったというのだろうか。
 誰一人として覚えてはいないであろう1999年に、誰もが自明であるかのようにこぞって参加したサロン、それが1999年のサロンだ。そこでは、何と多くの言葉が交わされたことだろう。乗り越えた者たちが集い、可能性はきらめくように乱反射した。可能性とは今ここにいることであり、今ここにいるということを示すためだけに、言葉は交わされた。無数の今ここが交感されたその場所が忘れ去られてしまったのは、偶然ではないだろう。
 コンテンポラリーという無時間的な空間において、写真(家)はすでに1999年を生きていた。何という間違いだったのだろう、それを同時代と呼んだのは。1969年のサロンは、1999年のサロンの倒錯した鏡像だった。1999年が1969年を反復したのではない、1999年は鏡像を先取りした1969年の黙契として現実化されたにすぎない。
 1969年においてすでに写真(家)は消去され、誰がそう呼んだのでもなく、幻のもうひとりと呼ばれるようになっていた。それは見る、それは見られる、今ここで、幻という名のもとに。だが、消去されたものが幻だというのは、またしても同語反復ではないだろうか。
 1969年にすでに消去されていた写真(家)は、(すでに)1999年を生きていた。いや、1969年に(すでに)消去されていた写真(家)は、すでに1999年を生きていたのか。それは見る、それは見られる、1999年のサロンで。
 それでは、われわれが生きる今ここ、今この時は、何だというのだろうか。それを問うことは不可能だが、それに答えることはさして難しくない。なぜならすでに、われわれはそれに(すでに)答えていたのだから。ここではなく、今ではなく、(ではなく)。