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[穴語:相性 & カタカナ/日本カメラ2005年10月号:207]


[相性]

 コンピュータやデジタルという言葉は、人間味が乏しく冷たいイメージの比喩としてよく用いられている。しかし、そんなデジタル機器も、とても人間臭い一面をのぞかせるときがある。相性と呼ばれるものが、それだ。
 多種多様なデジタル機器、パソコンのパーツやソフトは、膨大な組み合わせ方が考えられる。そして組み合わせ方によっては、本来は動作するはずなのに動作しなかったり、動作したとしても安定しないことがある。そうした状態を指して“相性が悪い”などと表現するのだが、要するにこれは“なぜだかわからないけどそういうものかもしれない”という意味。メーカーのサポートなどに問題を問い合わせて、“仕様です”と言われるのも腑に落ちないものがあるが、“相性ですね”と言われるともう途方に暮れるしかない。こんなところで機械に人間味があっても嬉しくはないだろうが、人間社会同様、相性が悪い場合は深追いせず、別の組み合わせを試すのが賢明かもしれない。
 相性の問題というのは、新しい規格で生じやすい傾向がある。例えば、初期のUSB接続では何かとトラブルに遭遇したものだが、最近ではほとんど相性の問題はなくなってきている。有能な新人を揃えても今ひとつ組織がしっくりせず、平凡だが熟練した経験者の組織の方がスムーズに事が運ぶのは、人間社会でもままあること。相性の問題を避けたいなら、最近の技術を採用した目新しいものより、枯れた技術で作られた安定しているものを選ぶのも、ひとつの考え方だ。

[カタカナ]

 “インタラクティブなマルチメディア時代におけるメディアリテラシーとセキュリティーについてのワークショップ”。これを、国立国語研究所の外来語言い換え提案を参照して書き換えてみると、次のようになる。“双方向的複合媒体時代における情報活用能力と安全対策についての研究集会”。
 わかりにくいと言われる外来語だが、こうしてじっさいに言い換えてみると、わかりやすさという点ではどっちもどっちという感もある。とくに写真の世界では、古くから好んで外来語を取り入れてきたという歴史もあるので、今さら「カメラ」を「写真機」、「オートフォーカス」を「自動焦点」などと言い換えたところで、いちがいにわかりやすくなるとは言えないだろう。だいいち、「一眼レフ」のように、SINGLE LENS REFLEXの一部だけ日本語にしたうえに略されて定着している言葉などは、言い換えようがない。
 外来語が好まれるもっとも大きな理由は、何となく新鮮で高級な雰囲気があるからではないだろうか。「新しい波」と言うよりは、「ニュー・ウェーヴ」の方が新鮮だし、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の方が高級そうではないか。外来語でなくては表現できない語感もないわけではないだろうが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のような専門用語っぽい言葉を使えば逆に突っ込まれにくいし、文字数も稼げるという書き手の事情もあるのだろう、と自戒を込めて想う。
 言葉は時代や文化を映す生きた鏡でもある。定着している外来語を無理に言い換える必要はないかもしれないが、用語自体がバリアになってしまっている「バリアフリー」という言葉などは、笑えない冗談のようでもある。写真の世界も、カタカナのバリアを張りめぐらせてしまってはいないか、一考の余地がありそうだ。