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[BOOK REVIEW:技術立国日本の素を支えてきた現場を活写する・武田徹『ニッポンの素(もと)』/日本カメラ2005年5月号:191]


ニッポンの素―ルポ「今」を支える素材産業  やっとのことで家のカメラを借りて、フィルムの詰め方を教わり、胸をときめかせてシャッターを切り、近所のカメラ屋さんに現像に持って行く。数日後、写真を受け取りに行くが、出来上がった写真は失敗ばかり。見かねたカメラ屋のおじさんが、写真の撮り方を教えてくれるが、それを試せるのは、フィルム代と現像代がまた貯まってからだ。そんなことを繰り返しているうちに、懇意になったおじさんと、ショーウィンドウに飾られたカメラについて、いっぱしのうんちくを語れるようになり、バイト代を貯めて念願の自分のカメラを手にするようになる。暇があると、レンズキャップを外したりつけたり、裏蓋を開けたり閉めたり、巻き上げレバーやシャッターの感触を確かめながら、こんどの休みには何を撮りに行こうかと考える。

 こうした経験は、今はもうない。カメラ屋さんは、DPE屋さんになり、今ではコンビニになってしまった。デジカメには、巻き上げレバーや裏蓋もなく、出来上がった写真を見るまでの数日間は、ほんの一瞬にまで短縮された。何を撮ろうかと考える前に、目をしょぼしょぼさせながら複雑な操作を覚えるのに精一杯だ。昔はよかった。デジタルになってから、カメラには味わいがなくなったし、カメラを通した人との交流もなくなってしまった。

 こんなふうに嘆くのは、たやすい。しかし、ほんとうにそうなのだろうか。巻き上げレバーがなくなると、人との交流もなくなってしまうものなのだろうか。そうではあるまい。何かが失われたと感じてしまうのは、巻き上げレバーのせいではなく、それにまつわる幾多の物語が失われてしまったからであり、それに代わる物語を見出せなかったからではないだろうか。もちろん、今日でも物語はある。技術が進化すると人間味がなくなるというのも物語だ。簡単でわかりやすいものがいい、ついでにかわいくて楽しければもっといい、というのも物語だ。だからこそ、パステルカラーのデジカメが生まれたりするのだろう。

 日本の素材産業を詳細に取材した『ニッポンの素』を読んでいると、進化する技術が物語を奪うどころか、そこには人間味に満ちた物語が溢れていることがわかる。「鉄」の章からはじまり「プラスチック」の章でしめくくられている本書の流れのなかには、写真に関係している幾多の物語がある。「ガラス」の章ではコシナのレンズが登場し、「チタン」の章ではチタンボディのコンタックスT2が誕生したいきさつが紹介されている。「化学繊維」の章に出てくるカーボンファイバーは、三脚にも用いられるようになった素材だ。それぞれの話は、楽しくてわかりやすいものではない。しかし、読み終えるころには、さまざまな製品がまったく違って見えてくるほど、興味深く、魅力的だ。

 楽しくてわかりやすいパステルカラーの物語は口当たりがいい。だが、味気ない。写真を撮るのが簡単になった現在だからこそ、物語を紡ぎ育む努力がメーカーにもユーザーにも求められているのではないだろうか。『ニッポンの素』は、素材と製品、メーカーとユーザー、そして人と人とを橋渡しする、"物語の素"にもなってくれるに違いない。