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[BOOK REVIEW:終戦から東京オリンピックまでの日本を西欧の若い編集者の眼が編んだ写真集・『日本の「自画像」1945-1964』/日本カメラ2005年3月号:199]


日本の「自画像」1945~1964  例えば、朝、近隣の人と顔を合わせたら「おはようございます」と声をかける。そんなことは当たり前のことのようにも思えるが、都市部の住宅地などでは失われつつある習慣ではないだろうか。ましてや街中や公園などで、ちょっと目が合った人に「暖かくなりましたね」などと声をかけようものなら、あやしい人間と思われかねない。家庭や職場で挨拶しても怪訝な顔をされる、いずれはそんな時代が来るのかもしれない。

 しかし、かつての日本は、今より遙かに親密な人間関係が存在する社会だった。よく知られている小津安二郎の映画『東京物語』には、アパートの隣の部屋へ酒を借りに行くシーンがある。これはもちろん映画のなかだけの話ではなく、隣近所で醤油や酒や米を貸し借りするような関係が、昔は現実にあったのである。

 こうした変容は何によってもたらされたのだろうか。テレビや(携帯)電話やパソコンのせいだろうか。雇用形態や家族の在り方の変化のせいだろうか。もっともらしい理由はいくらでも見つけ出せるだろうが、理由を見つけたところで、失われた習慣は簡単にはもとに戻らない、それだけは確かだ。そして、ほんとうの理由は、習慣を失おうと何とも思わない、そういう社会になってしまったことにあるのだろう。

 単純に言えば、習慣が失われるということは、何かを受け止めそれに応える人がいなくなること、何かが受け継がれなくなること、つまり歴史の否定である。これは表現の分野も例外ではない。戦後から今日に至るまで、次々と新しい表現が登場した。そして、新しい表現と同じくらいの数だけ、忘れ去られた表現がある。

 『日本の「自画像」』には、1945-1964という年が記されている。『東京物語』が公開されたのが1953年だから、ここには『東京物語』前後のおよそ二十年間の写真が収められていることになる。興味深いのは、選ばれている11人がいずれも、新たな表現を模索しただけではなく、それまでの表現から受け継いだものも多い写真家であることだ。

 外国人によって編まれた本書に『日本の「自画像」』という題名がつけられているのは、日本人による日本の写真という程度の意味だろう。だが、本書を自画像と感じる日本人が、果たして今の日本にどれだけいるだろうか。あるいは、本書に収められた写真家の写真と、現在の写真家や写真はどれだけ繋がっているだろうか。

 むろん、すべてのものが受け継がれる必要はないし、無理矢理何かを受け継がせるような表現は虚しい。が、何も受け継ぐものがない表現も、また虚しいものではないだろうか。

 本書を見ていると、何とも言えない寂寥感がこみあげてくる。それはじつは、写っているものの寂しさなのではなく、話しかけられているのにその言葉が理解できず怪訝な顔をするほかない寂しさ、自画像がどうしても自分の顔に見えない寂しさなのかもしれない。