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[書評:島は地球のなかの星である・浅井慎平『風の中の島々』/日本カメラ2005年2月号:193]


写文集・風の中の島々  浅井愼平は写真家である。と同時に、文芸・俳句・音楽などジャンルを超えて活躍している多才な人物でもある。またテレビなどで、穏やかだが切れ味鋭い見解を述べるコメンテーターとしても親しまれている。すると人は、浅井をある種のマルチタレントとして捉え、写真は余技のようなものだという先入観を持ってしまいがちだ。だから、浅井が写真家であるということ改めて確認しておくのは無駄ではない。

 『風の中の島々』は、3年間に渡り、北は北海道・礼文島から南は沖縄・竹富島まで、日本全国の孤島をめぐって撮った写真を、エッセイとともに編んだ一冊である。驚くべきことは、例えば礼文島も東京・佃島も、まったく同じように写されていることだ。いや、もちろん写っているものは違うのだが、眼差しが同じなのである。これは容易なようで、難しい。カメラを持って歩くと、ふつうは離島では離島らしさを、下町では下町らしさを、どこかで探してしまうからだ。しかし、浅井はどこで撮ろうと気負いがない。気負いがない写真を撮ろうとする気負いもないのである。浅井は、こう言っている。

 「人がこころのなかに世界を取り込み、あるいは自分も宇宙であり、宇宙もまた、ぼくを構成の一部として持っているものだと知っていく。ぼくは島をめぐるエッセイのなかで、島は地球のなかの星であると何度も書いてきた。…島から島へ、星から星への移動は、人間の宿命だ。…そういう意味で、島をめぐったことは宇宙を理解する上でいちばん身近な解りやすいやり方だった」

 人間が世界であり、宇宙であるというのは、ありふれた哲学的隠喩でもある。しかし、浅井はそれを隠喩として言っているわけではない。ひとつの真理としてのその哲学を生きているのである。そうした哲学において、気負いがない澄んだ眼差しによって島の時間と空間が純化され、写真へと透過されているのは当然だと言うべきなのかもしれない。浅井自らが、島になり、宇宙になった、その軌跡の結晶が本書なのだから。

 浅井慎平は写真家である。昔も今も第一線の、誰よりも透明感に満ちた写真を撮る写真家である。