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[東京からダイヤモンド富士を撮る…/日本カメラ2005年1月号:94-95]


日暮里富士見坂




 富士見の名が冠された地名は、全国的にも数多い。また、坂に名前をつける文化が古くから根づいている日本では、坂がつく地名も多い。なかでも坂の街とも呼ばれてきた江戸・東京では、名前がつけられている坂が多い土地であり、その数は500とも600とも言われている。そのうち富士見坂という名が残っている坂は十数ヵ所。名が残っている、というのは、じっさいに富士山が見える坂は、日暮里と大塚のわずか二ヵ所にすぎないからだ。そして、山頂に太陽がかかる、いわゆるダイヤモンド富士が見えるのは、日暮里の富士見坂のみ。数ある富士見坂のなかでも、日暮里富士見坂が特別である理由はそこにある。
 ダイヤモンド富士が見える日は、毎年11月中旬と1月末にそれぞれ約3日間。それに合わせて、11月12日に日暮里富士見坂を訪れてみた。西日暮里駅を出てすぐの間の坂は急で、上りきって諏訪台通りに出る頃には少し息が切れる。江戸時代には、道灌山から諏訪台にかけての高台が眺望の地として名高かったと言われており、諏訪台通り左手にある諏方神社の奥は今でも眺望がよく、電車ウォッチングの場所としても有名。諏訪神社を過ぎると富士見坂の看板があり、その右手の坂が富士見坂だ。
 当日は、午後から少し日が射してきたものの雲がなかなか切れず、富士山が見える望みが薄い天気だった。快晴のときには、坂が埋めつくされるほどの人出があるそうだが、この日は人もまばら。それでも日没の時間が近づくにつれ、高校生のカップルが通りがかり「何か見えるの?」と立ち止まったり、坂の上が混み合うくらいの人が集まってきた。遠景は雲に覆われ、わずかに太陽は見えるものの、富士山を拝むのはやはり無理そうである。しかし、立ち去る人はほとんどいない。
 「じっと見てると、何だか富士山が見えてきちゃうね」
 「そうそう、見える見える(笑)」
 そんな会話があちこちから聞こえてくる。日が沈みきってから、名残惜しそうに挨拶を交わして、人がひとりふたりと立ち去っていく。こうした光景を見たとき、日暮里富士見坂が特別であるほんとうの理由がわかった気がした。この坂は、生きた坂なのだ。観光地化された景勝ではなく、人々が暮らし、ふと足を止め、風景を愛でる坂。そして、訪れた人も快く迎え入れ、ともに風景を愉しもうとする、気さくな下町の人たち。
 国土交通省関東整備局の「関東の富士見100景」にも選ばれ、「歴史的風景遺産」と呼ばれる日暮里富士見坂。そこから富士山が見えるということが、目には見えない人の心のつながりを生んでいる。風景はもちろんだが、その目に見えないものもまた、かけがえのない歴史的な遺産なのではないだろうか。