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[太宰治が見た富士/日本カメラ2005年1月号:91]


富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)  「風呂屋のペンキ絵だ。芝居の書割だ」と軽蔑しながらも、ことあるごとに富士を眺め、「富士は、やっぱり偉い」「富士に、化かされた」と賞賛したりもする。『富嶽百景』のなかの富士は、まるでどこにでもついてくる不気味な鏡のように、太宰の揺れ動く心境を映し出す。しかし、その鏡=富士は不気味なだけではない。あまりにどこにでもついてくるので、太宰を幾度となく笑わせている。四度の自殺未遂を経て、中期に入った頃に書かれた『富嶽百景』に深く流れているのは、このあっけらかんとした笑い、鏡もそれに映るものも現実としてまるごと受け入れていく、おおらかで肯定的な笑いだ。そんな太宰は、未来をも受け入れるかのように、「僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね」と、両手いっぱいの月見草の種を茶屋の背戸に播く。「富士には、月見草がよく似合う」。このあまりにもよく知られた一節が、いささかも古びた言葉にならず、なぜかまっすぐに心に響いてくるのは、そこに太宰の言霊が宿っているからなのかもしれない。