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[時評18:迷惑/photographers' gallery 2004.07.26:http://www.pg-web.net/]


 「人に迷惑をかけなければ何をしても自由だ」

 このような常套句に、長い間どこか暴力的で不快なものを感じていたのだが、それは「迷惑」や「自由」という言葉が意味不明で、けっきょくのところ何を指しているのか分からないにもかかわらず、それを平気で口にしてしまう鈍感さをそう感じるのかと思っていた。が、そうではなかった。そうではなく、それは「迷惑」や「自由」を決定することができると無意識的に思い込んでいる多数派のみが口にできるからこそ暴力的であり、かつ、そのことが多数派には理解不可能なのが不快なのである。

 同じような常套句が、文学や美術といった表現にもある。「自由に読んで欲しい」、「自由に見て欲しい」というのがそれだ。しかも、いわゆるテクスト論に通じているはずの現代作家が、平然とそういうことを口にしていたりすると唖然としてしまう。人に「自由」を強要するとは何ごとだろう。そこにもまた、読まれ・見られていて当然だという多数派的な感覚がある。だが社会的に言えば、今日において文学や美術といった表現自体が圧倒的な少数派なのであって、ほとんどの表現がごくわずかな人の目に触れて消え去っていくというのが歴然とした現実だろう。

 もしかしたら、無意識的に自らの表現の価値を信じているからこそ、そういうことを口にしてしまえるのかもしれない。しかし、それを口にしたときには、何かわからない大切な何かに向かって一歩踏み出してしまっているように思える。価値を問うこととは無縁の過激な何かに。