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[時評15:贈る言葉/photographers' gallery 2004.03.23:http://www.pg-web.net/]


 ウンベルト・エーコは次のように言っている。
 いずれの学問でもお気に入りのスポーツの一つは、周知のように、それ自体の対象をマズヒズム的に否定することである。建築学部での講義で成功を収めたければ、「諸君、建築は存在しない」といって切りだすべきだ。彼らは大満足することだろう。だが、神学部でもそうなのだ。「神は死んだ」で始めれば、成功の確率は大きかろう。そうした学問上のマゾヒズムには、肯定的な局面もある。それは、ある学問が絶えず自らの前提を問い続けることを意味する。そうはいっても、誇張というものは、美徳においてばかりでなく、悪徳においてもあるのだから、それは避けられなければならない。
 こうした傾向は、今日ますます顕著であろう。つまり、自らの前提を問い続けていようがいまいが、そんなこととは無関係に、専門的な対象それ自体を存在しないと喜々として言うことが、専門性の大前提にすらなりつつある。

 しかし、諸君、前提を問うという前提などはそもそも存在しえないのだ。したがって、そうしたことを得意気に語る手合いには充分気をつけるべきだ。何々が存在しないと言う存在というダブルバインドの体現を継承していくのが目的でないのならば。