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[時評13:2.10/photographers' gallery 2004.02.10:http://www.pg-web.net/]


 わたくしは、この日を忘れない。

 いま手元には、その出来事が起きた年の数ヶ月後に大手新聞に掲載された"トンチンカンな「私」"と題された切り抜きがある。最後は"「文」をナメてはいけません。"と締めくくってある、慇懃無礼な文だ。しかも匿名で署名は(R)とのみ記されている。トンチンカンでない(R)氏は、おそらく書いたことすら忘れているだろう。だが、わたくしは今後もしばらくは、この内輪的な不気味な文も忘れることはないだろう。

 この日を忘れない、と書いたが、じつはこの日が2.10なのか、2.21なのか定かでない。だからほんとうは、その出来事を忘れない、と書くべきなのだろう。さんざん検索してみたのだが、その出来事の日付を記したデータが全く見つからないのだ。明らかにした声というのは、こんなにも早く消え去ってよいものなのだろうか。あるいはその出来事に限らず、消し去ることこそが、声にして明らかにすることの本質なのかもしれない。

 だからこそ、わたくしは、その出来事を忘れない。