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[多様な選択肢が用意されるようになり、写真は大きな変動の時代を迎えた。/ニッコール年鑑2003-2004 2004年3月刊:182-183]


 21世紀に入り、写真もまた大きな変動の波のなかにあるように感じられます。しかしそもそも、その発明以来、時には変容を柔軟に受容し、時には変革そのものを創り出してきた写真は、他の表現メディアと比べても、実にさまざまな変動をくぐり抜けてきたメディアであるとも言えるでしょう。そうして時代をダイナミックに反映してきたところが、写真というメディアの大きな魅力でもあります。
 そのようなものとして写真を振り返ってみたとき、技術的革新と表現的革新は必ずしも同時には起こらないものの、相互に関連しながらうねりとも言うべき変容を形作っていることがわかります。例えば、ロールフィルムの発明は写真を一般に普及させる大きなきっかけになりましたが、手持ちのカメラで連続撮影するスナップショットという技法が表現史のなかで一般化するには、カメラとフィルムが高性能化するのを待たなければなりませんでした。そして、スナップショットが一般化すると、コンパクトカメラが爆発的に普及し、写真が私たちの生活の隅々にまで浸透することになります。このように、写真にまつわる変容は、技術と表現、プロフェッショナルとアマチュアの境界を常に行き来しながら形作られてきたと言ってよいでしょう。とりわけ戦後の日本は、こうした写真の変容をリードしつつ体現する重要な役割を担ってきました。1950年に、三木淳氏を通してニッコールレンズを知ったダグラス・ダンカン氏が、実際に戦場で使用しその素晴らしさを認め、日本製品が世界に広まるきっかけになったという有名な逸話は、それをよく物語るものでもあります。
 さて、このような話をいたしましたのも、一方で多様な写真表現がさまざまなシーンで展開され、他方でデジタル対アナログの技術的対比が語られる現在、ともすれば写真は混迷しているように捉えられがちだからです。確かに、状況を俯瞰するとそのような感があるかもしれません。しかし、個々の状況を見てみますと、混迷と言うよりもむしろ、これまでの枠組みに収まりきれない多様な展開を生み出す、新たな胎動のうねりを形作っているのが、今日の写真であるように思われるのです。
 2001年には従来型カメラの国内出荷台数を上回ったと言われるデジタルカメラは、ますます一般的なものになってきました。普及タイプのレンズ交換式デジタル一眼レフカメラも、一気にポピュラーになっていく兆しがあります。とはいえ、それと同時に、改めてその持ち味を見直された従来型のカメラは中古市場を賑わしており、若い世代が街で古いカメラをファッショナブルに持ち歩くのを見かけるのも珍しくありません。写真展やコンテストなどでも従来のカメラや感剤を使用したものが、まだまだ主流です。このあたりは技術的な変革も含めて、これから棲み分けと融合が試行錯誤されていくものと思われます。というのも、写真のプロセスにおけるデジタル技術は、撮影時に限らず、スキャニング、プリントなど様々な段階で用いることが可能であり、従来の機材や感剤とどのように組み合わせるかには、大きな自由度があるからです。そしてこの変革には、プロフェッショナルよりも柔軟に機材の変更に対応しうる、アマチュア層の動向も大きな影響を与えていくのではないかと思われます。じっさい、写真表現のプロセスのなかで、すでに何らかのデジタル技術を使われているアマチュアの方も多いのではないでしょうか。この意味で、ニッコールフォトコンテストのテクノフォト部門が、今後他部門とどのような対比を形作っていくのかが注目されるところです。
 写真表現のシーンに目を向けてみますと、2003年も多くの興味深い展覧会や出版などの発表活動がなされましたが、そのなかでも、島根県立美術館・北海道立釧路芸術館・川崎市市民ミュージアムを巡回した「光の狩人 森山大道 1965-2003」と、横浜美術館での「中平卓馬展 原点復帰―横浜」は、写真表現の現在を物語る側面を持つ開催であったように思われます。かつて既成の表現をラディカルに乗り越えようとしたことで話題を呼んだ現代写真の代表的作家の回顧的な展覧会が、公立美術館で大規模に開かれるということは、今や60年代や70年代の写真表現も回顧されうるクラシックになったということでもあるでしょう。また、写真表現が美術表現と同じように、広く一般的な鑑賞の対象として定着したことの証左とも考えられます。これは、若い世代が古いカメラを持ち歩くのと、どこか類比的な現象ではないでしょうか。
 写真表現が一般的に広く定着してきていることを示すものとして、撮ることや見ることを通して参加することもできるイベントを挙げることができるでしょう。2004年には第20回を迎える「東川町国際写真フェスティバル」は、写真の夏の風物詩としてすっかり根付いた感があります。また、プロ写真家の顕彰だけでなく、アマチュアにも門戸を広げている、第3回目を迎えた「相模原市総合写真祭フォトシティさがみはら2003」は、広義の記録性を基本コンセプトとし、独自色を出している点でも注目されるものです。これらの地域主導のイベントは、講評会やワークショップ、シンポジウム、アンデパンダン展、子供たち向けの企画なども開催しており、写真表現への理解を深める交流の場として、今後のさらなる展開が期待されます。
 こうして昨今の状況を捉え返してみますと、写真が大きな変動の時代を迎えているように見えるのは、表現においても技術においても、かつてのような求心的な価値観が薄れ、その分個々の興味に応じた関わり方が可能になり、多様な選択肢が用意されるようになった結果であるように思われます。そして、だからこそ、気軽に参加できるイベントで表現を楽しむことから、大きなコンテストや個展の開催を目指すことまで、携帯電話で写真を撮ることから、ハイクオリティな機材を揃えてテクニックを極めることまでの、大きな幅のなかで、自分の表現を模索し、見極めていくことが求められているとも言えましょう。この意味で、江成常夫氏による、スキャニングとプリントにデジタル技術を取り入れた写真展「原色(RGB)の夢」はたいへん示唆に富む、印象的な展覧会でした。日常的な風景を心象風景へと昇華し、時間を愛でる感覚が濃密に溢れた静謐なイメージは、どのような時代にあっても流されることなく、自己の表現を探究する姿勢こそが重要であることの特筆すべき例であったように思われるのです。