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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #189 2004 summer:100-101]


 『NO MAN'S LAND 軍艦島』は、『DEATHTOPIA 廃墟遊戯』や『廃墟漂流』などの既刊で、廃墟を見つめ続けてきた写真家として知られる小林伸一郎氏が、軍艦島という俗称で知られる長崎県の半人工島、端島を取材した新作です。小林氏はこの取材について、感慨を込めてこう言っています。
 「これまで、どれだけの山野を街地を通り過ぎて来たことか、北へ南へ地図にはない目的地を求めて。それを旅というなら、まさに終わりのない旅である。しかし、ある時を境にして、その旅の終わりを意識するようになった。それは、数年前の初夏、紺青に輝く東シナ海に黒々と謎めいた巨体を浮かべた『軍艦島』を目にしてからである。以来、島は私の廃墟行脚、最終の地となった。」
 眩いばかりの青い空と海を背景にしたイメージではじまっていく写真集は、ページを追って建物の内部に行くにしたがって、わずかな植物の緑以外はまるでモノトーンのような光景へとイメージを変えていきます。そして後半ではそのモノトーンのなかで、残された物たちがそれぞれの色をくっきりと浮かび上がらせています。カラーによる写真表現では、古びたものの情感を捉えるのがなかなか難しいものですが、色彩を自在に操りつつ、痕跡のなかに刻まれた時間をありありと照らし出しているのは、さすがに厚みのあるキャリアを持つ小林氏が、「最終の地」を取材しただけのことはあると唸らされる一冊です。
 『東京〜奄美 損なわれた時を求めて』は、各駅停車と船による東京から母が住む奄美大島への旅を、島尾伸三氏が写真と文章によって綴った本です。
 「やさしかったおかあさんに、どうして今ごろになって逢いたくなったのでしょうか。いいえ、これまでずっと私はやさしかったおかあさんを捜し求めていたのかもしれません」という文章ではじまる本書は、小岩、茅ヶ崎、神戸、鹿児島などの土地をめぐりながら、思い出と思索とイメージを交錯させていきます。本文とは別に、例えば「この不思議な眺めは、余程のことがない限り変わることはなさそうで、建物のひとつひとつが、欲と涙の結晶のはずで、ですからどことなくもの悲しいのです」といった断章が写真に付せられており、また、頁下段には注釈のような形でときおり短文が添えられていて、それらの文章と写真が互いをより味わい深いものにしています。終わり近くになって、「一人っきりになった母は、一羽の小鳥と一匹の犬と庭の草木を相手に生きています」という文章が出てくるものの、じっさいに母に逢ったかどうかは明かされていません。
 島尾氏は、日常の生活の何げない瞬間を捉えた写真や、記憶を織り込んだ独特の文体によるエッセイで知られていますが、特に珍しい場所を旅しているわけでもないのに、不思議と幻想的ですらある本書では、そうした島尾氏のスタイルが見事に凝縮されており、これまでにありそうで全くなかった紀行の表現になっているように思われます。
 『phtographers' gallery press no.3』は、東京・新宿の共同運営ギャラリーphtographers' galleryが年一回発行する機関誌の第3号です。
 機関誌と言っても、運営メンバーの写真作品が収録されているだけでなく、昨年10月にオーストリアで開かれた『日本の写真におけるさまざまな位置』展を、『カメラ・オーストリア』誌と連携してさまざまな角度から取り上げた特集や、昨年秋に川崎市市民ミュージアムで開かれた『光の狩人 森山大道 1965-2003』展の記念講演会をまとめた「森山大道語録」、吉増剛造・高梨豊・四方田犬彦の各氏によるトークショー「詩ノ汐ノ穴」、しりあがり寿氏と島田雅氏彦の対談、韓国の現代写真の紹介など、国境やジャンルを超えて写真表現の現在をアクチュアルに捉えたものになっています。
 共同性によって内向していくのではなく、逆に、共同運営という強みを活かして、さまざまな外部に目を向けて編まれた本書は、写真というメディアの厚みと広がりを感じさせてくれるに違いありません。
 三島靖氏による『木村伊兵衛と土門拳』は、1995年に刊行された同書に削除・加筆がなされたほか、写真収録点数を増やし年譜も加えた改訂文庫版です。
 おそらく写真に関心を持つ人なら知らない人はいないであろう、日本近代写真の二大巨匠の名前をシンプルにタイトルに掲げた本書は、膨大な資料を背景に、時代を追いながら二人の展開の対照を丹念にたどっていくという、たいへんオーソドックスなアプローチによって書かれています。三島氏はこう言っています。「木村や土門は、近代写真のお手本を忠実に示そうとしてきたわけではなかった。彼らが続けてきたのは写真の写真たるゆえんを彼らなりに明らかにしようという努力であり、ときに彼らの手を借り、ときに彼らの手つきにさまざまに応じて、写真は立ち上がってきた」。
 これまでに木村伊兵衛氏や土門拳氏について書かれた本はけっして少なくありませんが、時代との関連を検証しつつ二人を対照した本格的な考察は、おそらくは本書がはじめてであり、それゆえ単行本版が刊行されたときは、衝撃的ですらありました。本書に貫かれている、二人の巨匠がなぜ素晴らしいのかを説くのではなく、また数々の逸話に拘泥するのでもなく、二人がいかなる努力によって近代写真を育んでいったのかを捉えようとする視点は、オーソドックスなアプローチをとても新鮮かつ刺激的なものにしています。改訂によりヴィジュアル的にも資料としても充実した本書は、二人の巨匠の写真に触れるときに欠かせない道標だと言えましょう。