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[書評:過去から解き放たれた『俗神』をどのように見るかが問いかけられている・土田ヒロミ『増補改訂・俗神』/日本カメラ2004年9月号:98]


 1976年に出された土田ヒロミのはじめての写真集『俗神』が、増補改訂版として新たに刊行された。
 「『俗神』はながく私を緊縛することになりましたが、それもすでに役を終えて、今では遙かな過去のものとして封をしてもよいと考えていました」と語る土田は、にもかかわらず今回再び出版した目的として、再版の要望に応えることと、「『俗神』から遙かに離れて変貌してある現在の土田ヒロミを、自分自身で再検討するよい契機になると考えた」ことを挙げている。
 緊縛という因縁めいた言葉が示すように、『俗神』は土田にとって、単にはじめての写真集であるだけでなく、深い意味を持つことになった作品であるに違いない。出版当時はもちろんのこと、現在に至るまで高く評価され続けている『俗神』は、それゆえに逆説的にその後の作品の展開を規定してきたと言っていい。土田はこう述べている。
 「それ(『俗神』)以降、私は多くの他者と交流し、それらを取り入れることで変容してきましたが、これはドキュメンタリストとして、コンテンポラリー(同時代的)でなければ時代を捉えられないという信念から、一つの型式やスタイルに拘泥することを選択させなかったのです」
 はじめから高い完成度を持っていた『俗神』は、特定のスタイルを自らの作家性とすることの限界を示すと同時に、時代に応じて作風を変貌させていくことを土田に選択させた。言い換えれば、作家性という神話と訣別することが、今日的(コンテンポラリー)な作家の条件であることを土田はいち早く見抜くことになったのである。
 とするなら、その後の土田の展開のもとに改めて置かれた今回の『俗神』は、いわゆる作家性の連続性から切断されたものだということになるだろう。過去から解き放たれた『俗神』をどのように見るか、増補改訂版の『俗神』が読者へと投げかけているのは、そのようなすぐれて現代的な問いであるように思われる。