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[なまめかしい乳剤の表層トライX/日本カメラ2004年5月号:146-148]


 Tri-Xが発売された1954年は、写真史にとっても象徴的な年である。世界最高峰のカメラと言われたライカM3が誕生し、ロバート・キャパがインドシナ戦争取材中に地雷に触れて爆死した。
 Tri-Xは各サイズで提供されてきたが、やはり高感度・微粒子が謳い文句のTri-Xに似合うのは35mm(135)判ではないだろうか。広いラチチュードのTri-Xの登場で、カメラは慎重な操作から解き放たれ、真の意味でのスナップ・ショットが可能になった。多少薄暗くても、多少動きながら撮影しても、多少露出がズレても、致命的な失敗にはならなくなった。この“多少”の差異は、もう少し速いシャッターを切りたいとか、もう少し絞れれば、という要求にぴったり応えてくれる差異であり、身体的な実感としてはけっして小さくない。
 Tri-Xは、この身体的な感覚にトータルに応えてくれるフィルムでもある。Tri-X使いの王道は、長巻100フィート缶と現像液D-76の組み合わせだろう。暗室で手探りで缶を開け、未使用フィルムのあの独特の匂いを吸い込みながら、フィルムを両手の幅に広げ、軸に巻き取りパトローネにカチっと封じ込める。両手を広げた長さの枚数が、自分の撮影枚数になるというわけだ。撮影後は最後の方に写したものを覚えておき、リールに巻いたフィルムを次々とD-76に浸し、頃合いを見計らってセーフライトで膜面を一瞬だけ照らして、充分に現像されたものから定着液に放り込んでいく。…実際にこれほど荒っぽい合理的でもないプロセスでTri-Xを扱っていた写真家はほとんどいないだろうが、こんな話がどこからともなくまことしやかに伝えられ、もっともらしく聞こえてしまうのもTri-Xならではだろう。Tri-Xの100フィート+D-76の1ガロンは、写真家をメンタルな世界から、フィジカルでハードボイルドな世界へと導き、写真行為には運動性が持ち込まれることになる。
 ライカM3のあまりの完成度の高さゆえに、ライツ社が一眼レフへの開発に乗り遅れることになったというのはよく知られた逸話だが、似たようなことがTri-Xに関しても言えるかもしれない。あまりに身体的にフィットするTri-Xは、視覚をも覆い、Tri-Xのトーンや粒状性がモノクロームの現実性の感覚とイコールになっていく。Tri-X以外のフィルムで撮られた写真に、どこか違和感を感じるようになっていくのである。例えば、コダクロームの色は、現実の色を再現しているとは言い難い独特のものだが、コダクロームの色味に馴染んでしまうと、逆に他のフィルムの色味が、どこか偽物のように感じるようになってしまうのと同じ現象である。Tri-Xのあとに開発されたT-Maxも優れたフィルムであるが、Tri-Xのあまりのポピュラリティゆえに、ポストTri-Xにはなりえなかった。
 ところで35mm判のフィルムを見て不思議に思ったことはないだろうか。パトローネの片側にだけ軸がはみ出ていたり、フィルムにはパーフォレーションの穴が空いている。同じロールフィルムでも120判や220判のブローニーならパーフォレーションもないし、パトローネがないので、巻き戻す必要もない。126判のインスタマチックや110判のポケット・インスタマチックなどのカートリッジ型ロールフィルムなら、さらに扱いは簡便だ。さらにそれらに技術を盛り込んだディスクカメラ用フィルムや、APSカメラ用フィルムなども開発された。しかし、普及途上のAPSは別にするとしても、どのロールフィルムも35mm判ほどのポピュラリティを獲得することはなかった。
 パーフォレーションやパトローネは、映画のフィルムを流用した名残であり、特にパーフォレーションなどはスチルカメラにとっては無用の長物だ。パーフォレーションによる現像ムラに泣かされた人も多いだろう。このように不合理性の極みとも言える35mm判が、なぜかくも普及したのだろうか。万全を期して開発されたものが必ずしも市場で普及するものではなく、むしろ競争原理のなかで改良を重ねたものの方が市場を制することが多いのは技術史の常だが、35mm判の普及はまさにその典型だろう。映画のフィルムを流用したことによって、パトローネが必要になり、パトローネを用いていることでユーザーがフィルムを詰め替えられるという自由が生まれる。こう考えてみると、開発者のせめてもの意地を示したかのような、ちょっとやそっとでは開かない元封のTri-Xと、長巻のTri-Xは、同じフィルムでありながら、対極の製品であるのも興味深い。素性が写真的ではない35mm判の長巻フィルムを出所のあやしいパトローネに詰めてこそ、ハードボイルドのTri-Xであり、それに対して元封のTri-Xは素性が良すぎる軟派なフィルムだ。
 ともあれ、1954年にTri-XとライカM3と35mm判が運命的に交錯する。いかに瞬間を捉えるかに腐心してきた写真は、連続性の世界へと飛躍し、写真行為は瞬間を捉えるのではなく、瞬間そのものを創り出すものに変容する。写真表現は1955年の「ザ・ファミリー・オブ・マン」展をピークとして、パブリックなヒューマニズムを伝えるメディアから、パーソナルなまなざしを浮かび上がらせるメディアへと変化したと言われる。だが、そうではない。それを捉えることができなかったときには、瞬間とはいまだ見たことのない目的であり、捉えるべき唯一のものだった。ところが、瞬間を捉えることができるという実現可能性が開かれるやいなや、瞬間は多様性へと分裂する。可能性とはそういうものだ。比喩的に言うならば、クライマックスを捉えた名作で知られたキャパが爆死したとき、瞬間もまた複数性へと砕け散ったのである。むろん、過去はどのような比喩によっても語ることができる。しかし、運命的な比喩を導き出すのもまた歴史である。歴史とはそういうものだ。
 「あなたはシャッターを押すだけ、あとは当社にお任せ下さい」。これは余りにも有名なジョージ・イーストマン自作の広告用スローガンである。ロールフィルムは、「カメラを鉛筆と同じ位使いやすくする」というイーストマンの理念の結晶だ。乾板からロールフィルムへの革新無くして、写真がこれほど広く行きわたることはなかっただろう。写真の大衆化にはさまざまな段階があったが、Tri-Xの登場はロールフィルムが写真行為の意味を根底から塗り替えた、ひとつの頂点であったように思われる。その頂点を象徴するがゆえに、Tri-XとライカM3と35mm判の組み合わせは、優れたモダン・デザインのように、比類なく美しい。
 スナップ・ショットという技法は、無意識に大衆に浸透していったと同時に、写真表現の新たな潮流を形作っていく。そもそも写真の大衆化によって生まれた技法が、パーソナルなのは当たり前だろう。スナップ・ショットは写真表現にとって、いまだに最新の技法であり、かつ最後の技法だった。それ以降、技術革新が写真表現に根底的な変容をもたらすことはなかったのである。写真はコンテンポラリーなメディアではなくなり、その代わり、写真表現はクラシックを参照するコンテンポラリー・アートになっていく。
 Tri-Xの登場に比べると、例えばネガカラーの普及などは写真表現にさほど大きな変容をもたらしていない。では、デジタルカメラはどうだろうか。半世紀もコンテンポラリー・アートとして生きながらえている写真表現を変奏することはあっても、変容させようがないだろう。変容をもたらすとしたら、デジタルカメラではなく、デジタル技術そのものが写真の定義を変えていく、ないしは消していくのだろう。
 だが、身体的な感覚から言えば、そのようなことはどうでもいい。デジタルなプロセスには、愛情を抱かせるような感触というものがそもそもないからだ。メモリ・デバイスには膜面はなく、あのなまめかしい乳剤の表層もない。そんな時代の変化を反映するかのように、昨年Tri-Xから400TXへとパッケージが変更された。重要なのは、デジタルうんぬん、メディアうんぬんではない。そうではなく問題は、400TXの100フィートはTri-Xと同じ、あの独特の匂いを漂わせてくれるのだろうか、ということだ。違った匂いが漂ってくることを怖れ、400TXの100フィートのパッケージを、ぼくはまだ開けられずにいる。