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[時評9:平和/photographers' gallery 2003.12.8:http://www.pg-web.net/]


 昔「『いちご白書』をもう一度」と言う歌が流行って、どんな映画なんだろうと思い「いちご白書」を観たことがある。記憶ではラストの頃だと思うが、学生たちが"Give Peace A Chance"と歌っているシーンがあって、その曲を探したのだがなかなか見つからなかった。ある日、ラジオからその曲が流れてきた。ジョン・レノンの「平和を我らに」という曲だと紹介されていた。当時は映画にも音楽にも邦題というものがついていることが多く、愛の何とかとか原題と全然違う題名がついていることもしばしばだったが、"Give Peace A Chance"と「平和を我らに」も全然違うではないか。見つからないはずだ。"Give Peace A Chance"のいったいどこに「我らに」があるのか。歌詞にしても、我らにではなく、我らが主張しているのが"Give Peace A Chance"なのだ。

 その、ジョン・レノンが熱狂的なファンに銃で撃たれ死去したのは、1980年12月8日のことである。大ニュースとして扱われていたが、正直言って自分には、その事件のニュース性がピンと来なかった。大騒ぎしていた世代の人に話を聞いても、自分たちの世代にしかわからないというような、結局よくわからない話しか聞けなかった。その数ヶ月後に、もうひとつの銃撃事件のニュースが駆けめぐった。1981年3月30日、ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件である。撃たれたひとりは死に、ひとりは生き、どちらも大ニュースだったことに、遅ればせながら80年代の到来を感じた。

 ところで、12月8日は太平洋戦争開戦の日(1941年)でもある。しかし、最近読んだ本に、12月のある日にアメリカ人から日本人であることを揶揄されたことを書いたこんな一節があった。
「開戦記念日」は、日本では12月8日だが、アメリカでは12月7日だった。僕がたとえ戦前派の日本人だったとしても、「12月8日」ならピンときたかもしれないが、「12月7日」では意味のない日付だった。
 「トラトラトラ」なら12月8日だが、は12月7日なのだ。なぜそんな単純なことを、この本を読むまで気づかなかったのだろう。そんな自分に愕然とした。ではジョン・レノンの命日はいつなのか。12月8日はニューヨークの日付であり、日本では12月9日になる。日本では、太平洋戦争開戦の日もジョン・レノンの命日も12月8日だが、そこには無限の隔たりと屈折があるように思える。

 話は変わるが、かつて愛と平和の世代を辛辣に歌った歌い手は、今年の夏、そうした世代のフォークシンガーを「ボス」とだけ歌い、もう「カス」とは歌わなかった。そこにさしたる意味はなかったのだろう。だが、ルサンチマンと自己憐憫を垂れ流す愛と平和の世代に期待することはすでに何もなく、それをカスと呼ぶほどの愛や関心もなくなった自分をふと感じた。