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[時代と変化を寄せ付けない新宿と森山の共鳴:森山大道『新宿』/日本カメラ2003年2月号:89]


 森山大道が新宿を撮りおろした本書は、524点の写真が全て裁ち落としで収められた、600ページ、3.5センチもの厚みの写真集である。キャプションはもちろん、ノンブルも何もなしに、ブレ・ボケ・アレの森山独特の作風が延々と続く厚みと重みは圧巻だ。
 写真集を捲っていると、ここに収められた写真がすべて近年撮られたらしいことに、いささか驚く。というのは、本書の写真は全体の印象として、60年代や70年代といった時代をどこかに感じさせるものなのである。
 なぜそのように感じてしまうのだろうか。古めかしいデザインのポルノ映画のポスターや、古いロゴのcoca-colaの箱、何とか横丁といった類の路地、古い建築の肌理などが写されているからだろうか。それだけではないだろう。というのも、都庁などの新しいビルや、PlayStation2のロゴ、最近のファッションの人々なども写されているからである。では、森山の作風が60年代や70年代を感じさせるものだからであろうか。だとしたら、写真が時代を写すのではなく、写真が時代性そのものを作り出しているということであり、それは何とも奇妙な逆転ではないだろうか。森山は新宿について、こう述べている。
 「新宿を写してきたこの二年余りの間に、ぼくはずいぶんいろんな人から、なぜ新宿なのですか? と訊かれてきた。そのつどぼくは、ときにもっともらしく、その場での思いつきで応えてきたが、結局、なんのこともなく、そこに新宿が在ったからという一言につきるのだ。そしてその新宿は、いまだにぼくの目に、大いなる場末、したたかな悪所として映って見えているからだ。東京という大都市を構成する他の幾多の街が、戦後五十年余りの時間のグラデーションをすっとばして、見る見る白く衛生無害(サニタリー)な風景となり果てているのに比して、新宿はいまだに原色の、さまざまな時間の痕跡を内包している。東京に居て、路上でカメラを持つ者にとって、これほど現代の神話に充ち充ちた"パンドラの匣"を見すごして、他に目を移すことなどは、とうていできない相談だ。」
 これによれば、本書の写真が60年代や70年代を感じさせるのは、何のことはない、新宿そのものが根本的には変わっていないからということになる。とすると新宿という街は、失われた10年どころではなく、30年が失われているということになるのだろうか。
 新宿は、それなりに再開発がなされ、新しいビルが立ち並び、若者も集う街であり、けっして古びてしまった街ではない。森山もまた、宇多田ヒカルのプロモーションポスターを撮り、ドキュメンタリー映画『≒森山大道』が作られるといった出来事に象徴されるように、若い世代の熱狂的な支持を集める、現在進行形の作家でありつづけている。だが、新宿と森山の共鳴はどこか時代の変化を寄せつけず、同じイメージの反復を現在のものとして展開し続けている。森山は新宿を「ラビリンス」とも言っているが、同じイメージが時間を超えて常に現在へと回帰している森山と新宿の関係もまたラビリンスである。
 1972年の衝撃的なタイトルの写真集、『写真よさようなら』について、森山はこう言っている。「この本を作ったころのぼくは、自分の写真もふくめて、全ての写真に対して懐疑的になっていた。…写真の解体・写真の無化・などという言葉がしきりに脳のなかに去来し、写真を一度、果ての果てまで連れていってしまいたいという衝動にかられていた。つまり、従来の、美意識・意味といった、疑うことのない一定の世界観によって成立していた写真との訣別!というわけであった。」
 これを森山は、「矛盾や短絡だらけだったにせよ、いかに過剰であったことよ」と振り返っているが、じっさい森山は、写真に別れを告げることで、例えば"新しい写真"といったアバンギャルドの痕跡を残した価値観から無縁の位置を見出し、写真を解体・無化して、果ての果てまで連れていってしまったのではないだろうか。その体現としてこの写真集があるのだとすれば、全ての疑問は氷解するように思われるのである。