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[フォトジャーナリスト長倉洋海、成長の軌跡:長倉洋海『獅子よ瞑れ』『アフガニスタン 敗れざる魂』『ワタネ・マン』『ヘスースとフランシスコ』/日本カメラ2002年12月号:158]


 アフリカ、中東、中米、東南アジアなど世界の紛争地に生きる人々、アマゾンなどに辺境に住む人々を、粘り強く追いつづける写真家、長倉洋海にとって、昨年アフガニスタンで暗殺された反タリバン勢力の指導者マスードは、たんなる取材対象にとどまらず、親交を結び、深い影響を受けた人物でもあった。『獅子よ瞑れ アフガン1980-2002』は、そのマスードとアフガニスタンの人々、風土を写した仕事の集大成とも言える写真集である。
 収められた写真は、いわゆる戦場や戦闘シーンは非常に少なく、マスードという人物、そしてアフガニスタンの風土とそこに生きる人々の姿がほとんどである。いっけんとても静かな写真集だが、見ていくうちに人々が生きる土地としてのアフガニスタンが、じわじわと伝わってくる。
 通信社写真部を経て1980年よりフリーランスとして活動をはじめた長倉は、当時の自身をこう振り返っている。
 「破壊された家や壊れた戦車、そして死体と難民……。劇的ではあっても、これらの写真は戦争の表層だけしか捉えていないのではないか。後悔が胸を満たした。そんなころ、マスードの存在を知った。…私と同世代のマスードを通して、アフガニスタンの国と人を、アフガニスタンの戦争を、もう一度見直してみよう。高所からではなく、ひとりの若者の目線から戦争を捉えてみたい。きっといままでと違うアフガニスタンが見えてくるだろう」
 アフガニスタンの風土と人々に対する敬意と、マスードに対する哀悼の念が凝縮された本書は、マスードとアフガニスタンの写真集であるだけでなく、長倉が取材を通して、より思慮深いフォト・ジャーナリストとして成長していった軌跡でもあるだろう。
 『アフガニスタン敗れざる魂 マスードが命を賭けた国』には、アフガニスタンでのそうした日々が、文章によって描かれている。等身大の視点から綴られたアフガニスタンの社会や文化、そして精神は、わかりにくいと思われている混迷の大地を、とても身近に感じさせてくれるのではないだろうか。『獅子よ瞑れ アフガン1980-2002』とともに読むことを、ぜひお勧めしたい。
 こういった、アフガニスタンに対する長倉の愛着は、戦火のなかをたくましく生きるアフガニスタンの子どもたちを写した『ワタネ・マン わたしの国アフガニスタン』に、より率直にあらわれているように感じられる。美しい光景と、動乱にも挫けず強かな活力に満ちた子供たちの写真には、まるでアフガニスタンの未来に対する祈りがこめられているかのようだ。子供の読者を想定して編まれてはいるが、長倉の仕事の奥深さが浮かび上がっており、大人とっても見応えがある写真集である。
 『ヘスースとフランシスコ エル・サルバドル内戦を生きぬいて』もまた子供の読者を想定して作られた写真と文章による本だが、難民キャンプで出会った3歳の少女を20年にわたって追った物語は実に感動的であると同時に、長倉の誠実な取材姿勢に溢れており、子供だけの本にしてしまうのはもったいないと思わせる一冊だ。写真を取材のための道具ではなく、人々と関わるためのメディアとして鍛え上げてきた実感に満ちた、「写真は時間のへだたりを一気に乗りこえることができるんだ、とぼくは思う」という長倉の言葉が、ひしひしと胸に迫ってくるに違いない。