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[日常的な時間の覆いを突き破り原爆禍を視覚化するという困難を超えて:江成常夫『ヒロシマ万象』/日本カメラ2002年10月号:154]


 『ヒロシマ万象』は驚くべき率直さに貫かれた写真集である。
 写真集を捲って繰り返しあらわれるのは、カラーとモノクロームで撮られた、草木や花、蝶や鳥、川面や路面、街の光景であり、慰霊碑などの数少ない写真のみが辛うじて直接的に原爆禍を思い起こさせるが、それとて象徴的にあらわれてくるわけではない。にもかかわらず、本書はこれまでにヒロシマをテーマにしたどのような視覚的表現にも増して、惨劇の今日的な核心を突いているように思われる。
 広島を訪れたことがある人ならば、その風景に流れる余りにも日常的な時間に呆然としたことがあるのではないだろうか。私たちはイメージ化されたヒロシマをどこかに持っている。にもかかわらず、現実の広島に流れるのは日常的な時間である。この隔たりを前に、私たちは呆然とするほかない。
 〈表現者としての信頼と仕事の価値は、対象との確固とした関係性と、仕事の文脈に徹することで獲得できる〉と言う江成常夫にとって、「ヒロシマ」は「戦争花嫁」や「満州」といった〈負の昭和〉を見つめ抜くことなしに、辿り着くことのできなかった道のりであっただろう。しかし、ようやく辿り着いた広島は、日常的な時間に覆われている。『ヒロシマ万象』は、この呆然とするほかない感覚を率直に受けいれるところからはじまった仕事であるに違いない。これは勇気を要する決断である。なぜなら、江成自身が〈見えなくなった原爆禍の視覚化〉と述べているような作業は、途方もない困難を表現者に強いるであろうから。江成はこう言っている。〈土門拳の『ヒロシマ』に接して以来、私の「ヒロシマ」への過程は万里に似て遠かった〉。
 その仕事を表面的に見る限り、江成の『ヒロシマ万象』への、土門の『ヒロシマ』の影響関係は意外に思えるかもしれない。だがそれは、江成が次のように言うように、根底的なものである。
 〈土門拳の『ヒロシマ』には昭和が犯した戦争の罪業が、剃刀(かみそり)で切り取ったような写真の一枚一枚に、ぎっしりと詰まっている。その真の眼差しで写し撮られた写真の衝撃は心を震撼させ、深く脳細胞に刻まれた。写真に限らずどんな表現世界でも、仕事には作者の経てきた時代と生活環境、さらに出会いとの条件が必ず投影される。私にとって土門拳の『ヒロシマ』は、それから40年余りが過ぎた今も脳裏から消えることなく、これまで蓄積してきた仕事の、核のような存在になってきた気がする〉。
 土門拳のリアリズムは、「絶対非演出の絶対スナップ」といった言葉によって単純に解釈されがちであるが、仕事の総体を見ればわかるように、ひとすじなわでいくものではない。それは、対象を見つめ抜き、試行錯誤を繰り返す苦闘の果てに、ようやく照らし出される、「写真は肉眼を超える」地平である。江成を震撼させ、影響を刻み込んだのは、この土門の眼差しにほかなるまい。
 〈罪業は罪業の忘却から始まる〉、と江成は言う。「戦争花嫁」にしても「満州」にしても、江成の仕事の文脈とは、罪業の忘却から罪業を見つめ抜こうとする展開そのものだったと言えるだろう。罪業の視覚化は、往々にして、それを過去の惨劇とすることで忘却の道筋を形作ってしまう。それゆえ、それを今日的なものとして照らし出すためには、罪業は、過去の出来事としてではなく、罪業の忘却という現在から捉えられなければならない。広島を前にして呆然とするほかない感覚からはじまった仕事であろう『ヒロシマ万象』は、草木や花、蝶や鳥、川面や路面、街の光景を浮かび上がらせる光と影を見つめ抜くことによって、日常的な時間の覆いを突き破り、広島の万象に宿る犠牲者の魂を、罪業の忘却という〈負の昭和〉のただなかに露わにする。
 罪業の忘却から罪業を見つめ抜く、その文脈の道程を一歩一歩踏み固めるために、江成は写真家としての40年を費やし、「ヒロシマ」を見つめるのに15年を費やしている。それは江成にとっては当然のことだったであろうが、同時に、写真表現において比類のないものであることも疑いえないだろう。『ヒロシマ万象』は、文脈に対しての率直さ、対象との関係に対する率直さという、この愚直なまでの二重の率直さが切り開いた地平に展開されている。
 この孤高ともいうべき、驚くべき率直さゆえに、『ヒロシマ万象』は罪業の忘却が日常と化した現在を揺さぶり、見る者の胸を打たずにおかない。