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[戦前日本を代表するデザイナーやカメラマンが関わった対外宣伝誌の完全復刻:『NIPPON』/日本カメラ2002年7月号:166]


 今日、伝説的な対外宣伝誌『NIPPON』を見る者は、誰しもそのグラフィック・デザインの洗練された質の高さに驚くに違いない。一言でいえば、『NIPPON』は“カッコいい”のである。
 『NIPPON』は、ドイツで本格的な報道写真(レポルタアゲ・フォト)を経験した名取洋之助を中心に、亀倉雄策、山名文夫、河野鷹思、土門拳、藤本四八といった、日本を代表するデザイナーやカメラマンたちが関わって、1934年から44年まで、計36号が出版された。
 だが、それほどの雑誌が、なぜ話題になることが少なかったのであろうか。ひとつは、簡単に想像できるように、戦前から戦中に対外宣伝誌として出された『NIPPON』 を捉えるには、戦争とプロパガンダという問題を避けて通ることができないからであろう。四六四倍判・総アート紙というずば抜けて豪華なグラフ誌を作ることができたのは、33年に国際連盟を脱退した日本が、国際的な孤立を深め危機意識を持つなかで、外務省の外郭財団法人である国際文化振興会が援助したこともあってのことであった。
 しかし、このような問題は、近代表現であるグラフィック・デザインの、いわば宿命的な影というべきものでもある。現在まで『NIPPON』が正面から語られることが少なかったのは、それだけでなく、さらに戦後延々とこの影を避けて通ろうとした翳りがあるからではないだろうか。それゆえ、戦争に対する関係を明確にすることを避けた文化の、解釈の翳りが『NIPPON』にはつきまとっている。
 この影と翳りは、さまざまなスタイルを“カッコいい”と受容してきた、現在に至るまでの日本の文化全体につきまとっているものでもあるように思われる。この意味で、半世紀以上の歳月を経てようやく完全復刻された『NIPPON』は、歴史的に重要であるというだけでなく、日本の文化が問われる試金石でもあるに違いない。