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[contemporary2:手に触れ得ぬもの、想像されるもの/photographers' gallery 2001.10.7:http://www.pg-web.net/]


もしも写真が、芸術の諸機能のいくつかにおいて芸術の代行を果すことを許されるならば、写真は間もなく芸術の地位を奪ってしまっているか、芸術を完全に堕落させてしまっていることでしょう、それが群衆の愚昧の裡に見出すであろう自然なる同盟のおかげをもって。従って写真はその本当の義務に戻るべきなのですが、その義務とは、諸科学、諸芸術の下婢となること、それも、印刷術や速記術同様、きわめて慎ましい下婢となることであって、印刷術や速記術は文学を創り出しもしなければ、その代行を果しもしなかったのです。(「1859年のサロン」ボードレール)
 ボードレールによるこの一節は、写真の誕生や大衆化に対する、当時の文化人の典型的な反応の例として、最もよく引かれているものであろう。
 だが、この一節を今日改めて読み返してみると、ボードレールの熱弁とは裏腹に、写真に対するかくも力のこもった否定が、白々しくも感じられるのはどうしてだろう。その理由のひとつは、言うまでもなく、ここで語られているような芸術、ないしは科学の崇高さが、現代ではすでに失われたものであり、したがって、ボードレールの訴えの背景そのものが消滅してしまっているからであろう。しかし、ボードレールの辛辣さがいささか戯画めいて響いてしまう理由はそれだけではあるまい。それがどこか白々しく感じられるのは、今日ではこの一節から反語的な意味が抜け落ちてしまったこと、つまり、写真がある意味で文字通り「諸芸術の慎ましい下婢」になったことで、字義通りの意味しか伝えないものになってしまっているからではないだろうか。もちろん今日の写真が、十九世紀的な「諸芸術の慎ましい下婢」であるわけではないだろう。そうではなく、文学を創り出しもしなければ代行も果たさない、おなじく慎ましい下婢であったはずの印刷術や速記術が、結果的には決定的に文学の在りようを変えてしまったように、写真もまたある意味で「諸芸術の慎ましい下婢」になることで、芸術の在りようを変えてしまったゆえに、ボードレールの批判が、むしろ凡庸な予言めいてみえてしまうのではないだろうか。写真が芸術のありようを変えてしまった、このこと自体は、ありふれたメディア論的な視点が導き出す、周知の認識でもある。だが、ここで注目したいのは、変えてしまったことそれ自体ではなく、その変容が、ボードレールの否定を、いわば飲み込むことでもたらされていることである。
 ボードレールが混同しているように、あるいは当時は未分化だったがゆえに招かれた混同が示すように、「もしも写真が…」と語られるとき、そこではすでに芸術作品としての写真と、メディアとしての写真が渾然一体となって捉えられている。ボードレール以降今日まで変奏されている、この混同による効果もまた周知のものだろう。写真が芸術でなければそれはメディアとなるし、メディアでなければそれは芸術作品となる、この絶え間ない反転が歴史的な写真の自己同一性となっている。この反転によるねじれた自己同一性は、写真の起源、つまりボードレールが言うところの写真本来の義務の意味合いを微妙に塗り替えずにおかないだろう。では、ボードレールが考える、写真本来の義務とは何か。
写真が、崩れ落ちようとする廃墟を、時間が貪り食う書物や版画や原稿を、その形態(フォルム)が消え失せようとする貴重な物、われわれの記憶の保存所の中に一つの場を要求する貴重な物たちを、忘却から救うならば、感謝され喝采されることでしょう。だがもしも、手に触れ得ぬもの、想像されるもの、およそ人間がその魂のいくばくかをそこに付加するがゆえにのみ価値あるものの領域に踏み込むことが写真に許されるならば、その時こそはわれらに禍あれかし!(同前)
 写真を「芸術の中に闖入してきた工業」と呼んだボードレールにとって、写真とは人間的な価値の対極にある工業的なものにすぎず、またそこに戻るべきものでもあった。しかしのちに、この工業的な性質、つまり記録性や機械性は、ボードレールに促されるまでもなく、写真が好んで戻る起源へとなっていく。
写真に於て「芸術」を模倣することはかくの如くして、二重の損害を自らの芸術に与へ、二重の軽蔑を自らの芸術に強ひつつあることを知らねばならない。「芸術写真」と絶縁せよ。既成「芸術」のあらゆる概念を破棄せよ。偶像を破壊し去れ!そして、写真の独自の「機械性」を鋭く認識せよ!(「写真に帰れ」伊奈信男)
物があってそれをカメラで撮る。純粋な意味でそれは記録というものであろう。その機能を放棄して写真は成り立たない。今こそ写真と写真家はそこにかえってゆかなければならないのだ。(「リアリティの復権」中平卓馬)
 「諸芸術の慎ましい下婢」としてふさわしい本来の義務が、戻るべき起源として積極的に選び取られる。メディア論的な視点から言えば、複製技術としての写真の性質にすぎないが、そこでの反転が写真の内的な自己同一性に転化していくとすればどうだろうか。複製可能性が自己同一性であるということは、端的に言って虚構であり、想像的な領域の倒錯性そのものではないだろうか。ボードレールの辛辣な批判、写真に対する否定が、こうして積極的に選び取られることによって、倒錯的に飲み込まれ、想像的な起源が形作られる。この起源は、もはや時間軸の中に日付を持った明示的なものではない。そのねじれによって自在に否定性を飲み込んでいく言述としての起源にほかならない。この言述の空間の中では、むろん反語が意味を持つこともありえないだろう。
 こうして、ボードレールの批判以降、写真は想像的な起源を参照しつつ自律性を形成するものとなっていくだろう。この自律性は、いっけん、メディアでもあり、芸術でもある、両義性の織物のようにもみえる。だがじっさいには、両義性が想像的な起源に先取りされているのだから、ここでの写真は、メディアでもなければ、芸術作品でもないと言ったほうがよい。自らのねじれの中で否定性を解消していく言述の空間は、両義性の織物と言うよりは、一種の症候と言うべきものではないだろうか。そしてこの症候は、ボードレールの反語を解消するだけでなく、アイロニカルに「手に触れ得ぬもの、想像されるもの」の領域をも満たしていくことだろう。
 ところで、このような想像的な起源、言述の空間は、どこか見慣れたものではないだろうか。写真のポストモダンは、こうしたことをあえて行い、照射したと自称してはいなかっただろうか。例えば、ボードレールの次のような一節が、写真に対する単純な批判ではなく、あえて自らの性質を照射するために書かれたと考えてみると、それは奇妙に写真のポストモダンの振る舞いに似ていないだろうか。
一個の狂気、異常な狂信が、これらの新たな太陽崇拝者たち皆を捉えました。奇怪にも嫌らしい事どもが生じました。いかがわしい男たちやいかがわしい女たちを集めてきて、謝肉祭の時の肉屋や洗濯女みたいに変てこな恰好をさせたのを、群衆にまとめて、これらの主人公たちに、どうか撮影に必要な時間だけ、せっかく作った顰めっ面を続けていて下さいとお願いして、古代史の悲劇的あるいは優美な場面を描出したつもりになったのです。どこやらの民主主義作家はそこに、歴史と絵画への嫌悪を民衆の中に弘める安上がりな手段を見出さずにはいませんでしたが、それは、二重の冒涜を犯し、神々しい絵画と、俳優の崇高な芸術とを同時に侮辱するわざであったのです。その後ほどなくして、何千という貪欲な眼が、立体鏡の覗き穴の上に、まるで無限を望む天窓ででもあるかのように、屈みこむことになりました。猥褻への愛は、人間の自然な心情の中で、自分自身への愛と同じほど根強いものであって、自らを満足させるのにかほど打ってつけの機会を逃したりはしませんでした。(同前)
 写真のポストモダンが、自称しようとしまいと、そもそもそれが自らの自律性ならば、想像的な起源が脱=時間的なものであることに変わりはない。この症候は、ボードレールの批判を、凡庸な予言へと変質されるとともに、かすかな郷愁と、ささやかな偏愛をもって、ボードレールの身振りを言述の起源として自らに転移させずにおかないだろう。それは例えば、現代の写真表現の中で、ある時は終末論的語調として、またある時は自己救済の物語として浮かび上がってくることになるだろう。ここで使った写真のポストモダンという言葉が、ほとんど意味が定かではないように、また、カタカナのボードレールが、何を指し示しているのか定かでないように、たとえ転移した身振りが、ボードレールのダンディズムとスノビズムとは似ても似つかぬものだとしても、写真(家)は虚構と化してしまった起源があたかもそこにあるかのように、自らを鏡に繰り返し映し、無時間的な鏡像の中で己の身振りを確かめずにはいられないだろう。