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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #178 2001 autumn:98-99]


 『歌舞伎』は、ファッション、料理、ドキュメントなど、幅広い分野で活躍している大倉舜二氏が、30余年にわたり撮り続けてきた、歌舞伎の舞台写真を選りすぐって編んだ写真集です。
 歌舞伎というと、日本人にとっても、今日ではなじみにくい感もありますが、英語と日本語のバイリンガル併記で外国人読者も想定して作られている本書は、作者がさまざまな分野で培った、しなやかながら力強いカメラワークも相まって、歌舞伎になじみが薄い読者にも、充分にその魅力を伝えるものになっています。
 〈よその国では、よく演劇は「人生を写す鏡」だと言われてきた。しかし歌舞伎は鏡と言うよりは、拡大鏡である。人生を大写しにし、誇張することで人生の彩り、興奮、芝居らしさを十二分に発揮させる。そして、この本にまとめられた大倉舜二氏の素晴らしい写真が示しているように、歌舞伎の喜びは実際に舞台を見る幸運に恵まれなかった人々もまた味わうことが出来るのである〉。ドナルド・キーン氏がこう述べるように、人生の拡大鏡とも言える歌舞伎の醍醐味と、作者の熟達した眼差しがハーモニーを奏でている本書は、いわゆる歌舞伎の紹介本にとどまることなく、それ自体が高い完成度を持っている一冊だと言えるでしょう。
 『SEASIDE BOUND』は、『眠そうな町』や『猫 陽のあたる場所』などの、素朴でありつつも不思議に見える町の光景を捉えた、独特のスナップショットで知られる武田花氏の新作です。
 今までの作者の写真には、猫と町というイメージが強かったように思えますが、そのイメージと対比的に言うなら、本書は犬と海の写真集でしょう。いっけんありふれているように見える空間の、アンバランスな日常の光景を捉えるスナップショットは本書でも健在ですが、空と海、犬と電柱といったシンプルなシーンのなかで写された写真は、作者のユニークな視点を際立たせているようです。〈もぞもぞと動き回り、砂に埋もれた車だのゴミだのを覗き込んでいる、のろま虫みたいな中年女が砂浜にひとり(それは私だ)〉。このような一文からはじまる巻末に付せられたエッセイも、作者の飄々とした撮影風景が伺えて、本書をいっそう興味深いものにしています。
 特別な技巧を凝らしたわけでもなく、また、奇抜な瞬間を捉えたわけでもない、しかし不思議と読者を引きつけて離さない本書のモノクローム写真は、写真というメディアならではの表現を、改めて気づかせてくれるのではないでしょうか。
 『細江英光の写真 1950−2000』は、2000年から2003年にかけて全国を巡回している展覧会にあわせて出版された、初期から今日までの細江氏の写真を編んだ作品集です。
 細江氏は、日本の現代写真の幕開けを担った代表的なひとりですが、名作と言われてきた数々の作品を見ることは、けっして容易ではありませんでした。細江氏の作品を網羅した本書は、今や歴史的ともいえる作品の数々を一冊で見ることができる、嬉しい出版だと言えるでしょう。それぞれの作品が実に個性的かつ刺激的なことはもちろんですが、こうしてさまざまな作品が一同に編まれてみると、これまでに気づきにくかった、作者の独自な眼差しや興味の連続性が浮かび上がってきているところも、本書の大きな魅力です。また、作品だけでなく、作者と作品をめぐる文章、年譜、展覧会歴、文献目録といった資料もたいへん充実しており、作者の仕事の全貌を知る助けになるだけでなく、日本現代写真史の一断面の記録としても貴重なものになっています。
 しかし、本書はたんなる回顧的な写真集にとどまるではありません。「ステートメント・2000」と題された巻頭の文章で、作者は次のように述べています。〈私は写真というものを自由に考えたい。多くの写真家がもっと柔軟になり、写真家を不幸にする硬直した理論の呪縛から解放され、ともに豊かな写真の可能性を信じたいのである。私は一人の写真家として、これからも死ぬまで「写真への愛と尊敬」を胸に生き続けていくつもりである〉。この高らかな宣言は、本書に収められたさまざまな仕事が、現在進行形の写真表現に繋がっていることを示すものでもあるでしょう。
 『ホンコンフラワー』は、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した話題作『転がる香港に苔は生えない』を書いた、写真家でもある気鋭の作家、星野博美氏による写真集です。
 本書が、香港を撮った写真集の多くと一線を画しているのは、やはり、香港の中国返還の瞬間を体験するため、2年にわたって観光客が足を踏み入れることのない下町の古アパートで暮らした作者の、日常にとけこんだ眼差しでしょう。本書には、報道的な写真でとりあげられるような香港の姿はありません。ここにあるのは、構えたところのないストレートなスナップショットによって捉えられた、淡々と過ぎていく日々のさまざまな場面です。そこから浮かび上がってくる、等身大の香港の細やかな姿は、そこに時間をかけてなじんでいった異邦人の、繊細な眼差しならではのものではないでしょうか。
 作者が好きだと言う中国語の言葉、〈相見恨晩――もっと早くに出会っていればよかった。たとえ遅すぎても、あなたに出会えてよかった〉という言葉が映像となって、心にしみてくる一冊です。