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[歴史を同時代に変容させた果敢な試み:高梨豊『地名論』/日本カメラ2001年1月号:186]


 瑣末なことであるかもしれないが、本書を見ていて、まず気になるのは、それぞれの写真に付されている、撮影の年・月と番地のデータである。なぜそれが気になるのだろう。それはおそらく、この写真集に収められた写真において、それらのデータがなぜことさら重要なのかが、一見して腑に落ちないからであるように思われる。
 本書の写真は、とりたてて象徴的なものを写しているわけではない。象徴的なものが写ってないということではないが、そういったものは、ざわざわとした街の光景に紛れて写されているにすぎない。写真の中に、その土地独自の象徴的なものを見出すこともできるだろうが、逆に、ありふれた光景を捉えた写真として見ることもできるだろう。
 『地名論』と名付けられた本書には、それらのデータ以外に、地名も記されている。それについて作者は次のように言っている。
 《一九九四年からはじめたこのシリーズは、「地名」をたよりに始められた。町の名であり、川の名であり、橋の名であり、坂の名前である。本郷ならば「森川町」や「菊坂」となる。》
 したがって写真集には、例えば、「森川町」というキャプションが記され、さらに「1995.12」「文京区本郷6-2」というデータが付されている。『地名論』という題名の本書の写真に、地名がキャプションとして記されているのはいわば自明のことであり、その重要性は一目瞭然だろう。地名は本書の動機を形作るものでもあり、先の文章に続けて、こう述べられている。
 《「界隈」を失った東京を「地名」を軸にとらえようとしたもので、いわば〈面〉から〈点〉への視点のシフトであり、空間にかわる時間的なアプローチである。マチを水平に歩くのではなく、地ベタを垂直に歩行するのである。足取りはひっきょう「歴史」への歩行となる。》
 巻末に付された撮影メモに、歴史的な事柄が記されていることからも、本書の中で、地名は歴史的なものとして位置づけられていることがわかる。しかし、《地ベタを垂直に歩行する》とはいかなることであり、いかにして可能なのか。《マチを水平に歩く》というのが容易にイメージできる比喩であるのに対し、《地ベタを垂直に歩行する》というのは、どのような歩き方かがにわかに想像し難い、飛躍した隠喩に感じられる。この《歴史」への歩行》について、作者は続けて言う。
 《問題は「歴史」である。歴史は語り継ぐ言葉や、綴られる文字によって表現可能となる。現在( いま)をしか写すことの出来ない「写真」にとって、「歴史」は大いなる不可能性としてレンズの前に立ちはだかる。さらにあるのは、写真家(ひと)ひとり東京に向きあえる時間である。記憶をたのんでも数十年、数百年をスパンとする「歴史」をキーワードとして標榜するのは気が退けることである。あるとき「歴史」を「履歴」に読みかえてみる。ペラっと一枚、あの履歴書のリレキである。印画紙二枚のこの仕事にはふさわしい。そうこうあって、『地名論』は続けられた。》
 あえて単純化するなら、ここで語られているのは、歴史的なものとしての地名を動機としてはじめられた撮影行為の不可能性だろう。したがって、《地ベタを垂直に歩行する》とは、この不可能性を飛躍するための隠喩であるとも考えることができるだろう。では、この飛躍はどこへと向かっているのだろうか。
 この飛躍において、歴史は唐突に履歴へと変容する。その唐突さゆえに、履歴が何であるのかは理解し難いが、何によって綴られるものなのかは示唆されている。それは、「写真家(ひと)ひとり」が向き合う「現在(いま)」である。
 こうして、歴史的なものとしての地名をめぐる撮影行為は、不可能性を乗り超え、写真家(ひと)が現在(いま)に向き合う行為へと、その性質を自ら変容させることになる。この変容は、はじめの疑問、撮影の年・月と番地のデータの重要性を照らし出すものでもあるように思われる。それらのデータは、歴史的な時と場所を刻んだものではなく、現在(いま)に向き合う写真家(ひと)の刻印なのであると考えるなら、それが重要であることは、けっして腑に落ちないことではない。
 写真は現在(いま)しか写すことができない、というのは一種のレトリックである。写真は写されたとたん過去になる、と逆に言うこともできるからだ。が、作者はあえて現在(いま)を選びとることで、歴史を同時代へと変容させた。この果敢な試みこそが、『地名論』の写真の不思議な魅力の源なのではないだろうか。