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[現代にさらなる読者を待ち受ける写真論―中平卓馬の言葉がオン・デマンド出版で:『中平卓馬の写真論』/アサヒカメラ2001年8月号:208]


 中平卓馬の『なぜ、植物図鑑か』が、品切・絶版になって久しい。しばらく前までは古本屋でも手頃な値段で入手できたが、ここ5、6年はプレミアがついて気軽には買えない値段になっていた。プレミアによって価値が認められる反面、テキストが物として神話化される側面もあり、写真の1970年代を知るためのテキストとしては定番中の定番だけに、あまり好ましいとは言えない状況であったように思う。
 今回、《リキエスタ》の会より発行された『中平卓馬の写真論』は、『なぜ、植物図鑑か』より主要な三篇を再編したものであり、そうした状況を解消する嬉しい企画であると言えよう。
 出版不況と言われるなかでの、この企画の実現のためには、じつは新たな試みがなされている。コンピュータとインターネットの急速な普及で可能になった仕組みに、オンラインで注文をうけ、注文分の本を増刷し、それを直接読者の手もとに届けるという、注文生産方式のオン・デマンド出版がある。人文系の出版社6社等が参加した《リキエスタ》の会は、このオン・デマンド出版の特徴を活かし、復刻や復刊という枠組みにとらわれない、ユニークな編集による18点を刊行した。『中平卓馬の写真論』は、そのなかの一冊である。
 写真表現に潜む近代的な制度性を根底から批判しようとし、写真の記録性を独特な視座から再定義した中平の論理は、今日読み返してみても刺激に満ちている。と同時に、それはけっして単純なものではなく、ポエジーやイメージを否定しようとする中平の文体そのものが、ポエジーやイメージに満ちている、断定的にみえながらも揺らぎを孕んだ不思議なテキストでもある。70年代から80年代にかけては、制度批判という観点から多くの共感を呼んできたが、その制度すら不確かな今日においては、その揺らぎをいまいちど洗い直し、可能性へと読みかえていく試みがなされてしかるべきであろう。73年の出版からほぼ30年を隔てて、新たな造本の試みのもとに刊行された中平のテクストは、今日だからこそ可能になった新たな読みを待っているように思える。