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[カルティエ=ブレッソンという概念を多義的・多面的に読みとく提案と論証:楠本亜紀『逃げ去るイメージ アンリ・カルティエ=ブレッソン』/アサヒカメラ2001年4月号:236]


 アンリ・カルティエ=ブレッソンの代名詞とも言える、最初の写真集の題名『決定的瞬間』が、フランス版では『逃げ去るイメージ』であったことをキーワードにしつつ、「決定的瞬間」という一義的なイメージに回収されがちであったカルティエ=ブレッソンの写真を、多義的に捉え直した本書は、きわめて現代的な正統派の作家論・写真論だと言えるだろう。
 作家の生い立ちやエピソードによってのみ写真を語るのではなく、十二分な資料を用いつつ表現の文脈を検証・再構築していくこうした現代的なアプローチは、80年代以降の欧米では頻繁になされてきたものだが、日本の写真表現ではほとんど試みられることがなかった。それだけに、けっして派手な仕事ではないかもしれないが、本書のような仕事が出版された意義は大きい。
 このような現代的アプローチの写真論が教えてくれることは、単純化すれば二つある。一つは、伝統的なイメージが再構築されることで、写真を捉えるための違ったパースペクティヴが提供されることだ。そして二つ目は、そのことによって逆説的に、諸々の言説が作り出すパースペクティヴによってこそ、写真が捉えられていることに気づかせてくれることである。
 本書で言うなら、「決定的瞬間」というキーワードによる一義的なイメージが解体され、「カルティエ=ブレッソンの灰色」という新たなキーワードによって写真が再解釈されることで、読者は従来とは全く違ったイメージでカルティエ=ブレッソンの写真を捉えることができるようになると同時に、写真を見るという行為がけっして単純なものではなく、言説の効果によってまるで違ったパースペクティヴが開かれるということを知るに違いない。
 こうした意義を踏まえた上で、少し本書を離れてさらに言うなら、このような現代的アプローチが真に意味を持つためには、複数の言説によるパースペクティヴが対立することが必要であり、また、その対立によってこそ写真表現の豊かさや可能性が生まれるということがあるだろう。
 作家論・写真論としても充分なクオリティを持つ魅力的な本書だが、本書が弛緩した写真表現への一石となり、波紋を広げ、言説の対立を生む刺激剤となっていく役割をも期待したいところだ。