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[写真と文が一つの本に奏でる等価の旋律:植田正治・鷲田清一『まなざしの記憶』/アサヒカメラ2001年3月号:192]


 写真と文章というメディアの融合は、思いのほか難しい。人は文章を読みながら写真を見ることはできないし、写真を見ながら文章を読むことはできない。それゆえこの二つのメディアを混在させる試みは、結果的に、どうしてもどちらかが主になっているようにみえてしまいがちである。
 だが、今は亡き写真家・植田正治と、臨床哲学者・鷲田清一のコラボレーションとして出された本書には、不思議とそういった違和感がみられない。その理由のひとつは、かつて著作に対位法の音楽のように植田の作品を登場させることによって、著作を書き終えることができたという経験を持つ、鷲田の植田作品との関わり方であろう。融合や拮抗を目指すのではなく、対位法のようにそれぞれが独立しつつ絡み合い、相互に触発されることによって生み出される、想像力の空間がここにはある。
 しかし、本書のコラボレーションを魅力的なものにしているのは、それだけではあるまい。モダニズムというものを表現しただけでなく、深く体現した植田という写真家と、近代なるものが生み出した様々な問題を、身近なところで思考し続けている鷲田という哲学者が共有する、モダン=近代なるものに対するデリケートな態度が、本書には流れているように感じられるのだ。鷲田は植田作品について、こう言っている。
 「ひとを、物を、オブジェとして距離を置いて見た、そのあたりまえの印画紙のなかに、いまなお閑かな慈しみの感情が深く深く浸透してくるのはどうしてだろう」
 この、距離の中に生じる感情こそが、対立したり超えたりするモダンはなく、私たちが否応なく日々抱え、そして包まれているモダンの率直な姿なのではないだろうか。本書における美しい写真と文章の対位法は、読者にそのことを静かに染み渡らせてくれるに違いない。