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[戦後日本写真史・第8回/nikkor club #172 2000 spring:20-23]


80年代以降の写真表現

 今日では、写真を見るということが、特別なことではなくなっています。私たちは、日常的に気軽に写真を撮ったり見たりしますし、また意識しなくても、ポスターや雑誌などで、趣向を凝らした写真表現を目にしています。それだけでなく意識的に、写真展や写真集などで、写真を鑑賞することも珍しくはないでょう。
 現在では当たり前のことになっている、このような写真を取りまく環境は、1980年代までは、かならずしも自明のことではありませんでした。前回触れたように、70年代の写真家たちは、写真家という個人に立脚しようとすれば、ある部分では、自主的な活動で文化的な基盤を作らなければなりませんでした。
 しかし80年代に入ると、こういった環境はしだいに変容していくことになります。その背景としては、個人に重点がおかれるように、社会や文化そのものが変化していったということもあるでしょう。また、カメラが誰にでも扱えるものになり、写真が安価で楽しめる、ほんとうに大衆的なメディアとして、日常のすみずみにまで浸透していったということもあるでしょう。
 写真表現そのものにおいても、80年代には、じょじょに写真を展示するギャラリーも増えていくなど、発表したり鑑賞する機会が増えていきました。そして、80年代の後半には、国公立美術館が写真表現を展示する企画を催したり、独立した写真部門を設置した美術館も開館するようになります。90年には、写真専門の美術館として、東京都写真美術館が開館(第一次)しています。
 具体的な例をあげてみましょう。87年に栃木県立美術館で開かれた『現代美術になった写真』では、畦地拓治、石原友明、伊藤義彦、五井毅彦、小本章、小山穂太郎、中川政昭、永原ゆり、野村仁、服部冬樹、ティム・マクミラン、村上慎二、森村泰昌、山崎博、山中信夫と、70年代から80年代の作家から、枠組みを越えて、創作に写真を用いる作家が選出されています。また、90年に東京都写真美術館で開かれた『日本のコンテンポラリー』では、神蔵美子、小林のりお、柴田敏雄、三好耕三、伊藤義彦、小山穂太郎、佐藤時啓、石原友明、今道子、服部冬樹、森村泰昌、が、80年代以降の写真表現という同時代的な観点から、ラインナップされています。
 こういった例からもうかがわれるように、多様な視点から、写真を新たに見つめてみようとする気運が、しだいに高まっていったのです。おりしも、89年に写真が誕生150年を迎え、写真表現が注目されたことも、そういった動向の追い風になったと言ってよいでしょう。

『パリ・ニューヨーク・東京』

 ところで、現在から見ると、さほど大きなイヴェントにはうつらないかもしれませんが、そういった写真を取りまく環境の変容を、象徴するような展覧会が、1985年に開かれています。『パリ・ニューヨーク・東京』と題された、写真専門のギャラリーが半年間の期間限定で開いた、つくば写真美術館’85での企画がそれです。
 この企画展は、現在の写真表現に連なる、いくつかの着目すべき着目すべき点を含んでいます。そのひとつは、日本の写真表現に、改めて文脈的な位置づけを与えたことです。カタログの巻頭で、編集委員のひとりである伊藤俊治は、次のように述べています。
 「あらゆる都市のなかで、パリほど『19世紀』という概念と親密に結びついている都市はない。同じような意味でニューヨークほど『20世紀』というイメージにぴったりの都市はないし、東京ほど『21世紀』という新しい時代像に密接に関わる予感を秘めている都市はないように思う。」
 「写真史に即して言えば、このことはこういいかえることができるかもしれない。写真は『パリ』で生まれ、『ニューヨーク』で成長し、今、『東京』であらたな形で展開されようとしていると。」
 「本展は写真の創世期のパリの写真家たちの作品から始まって、世紀の変換のなかで写真の意味と特性にめざめてゆくニューヨークの写真家たちへ、それを前近代と近代の衝突のなかで独自の表現にしようと格闘してきた東京の写真家たちへとつなぎ、それぞれの都市の特質と各都市の変遷を伝える写真群を見渡しながら、19世紀から20世紀へ、そして次世紀へとわたる人間が生きてきた視覚体験の追想を試みようとするものである。写真が誕生して百五十年あまり、“夢と驚きの素晴らしいレンズ”が都市のなかをどのようにかけぬけていったかを、この軌跡によってじっくりとたどってみることにしたい。」
 ここで新たに提示された文脈は、70年代の自主的な活動における、自らの在りように問いかけるようなたぐいのものでは、いささかもありません。写真を都市に関連づけ、都市としての東京を、世界の中に位置づけるという、じつに開放的なものです。ここにみられる、写真表現そのものに問いかけることから、写真表現を外に向かって開いていくような転回は、80年代における写真表現の変容を、よく象徴しているように思われます。
 この展覧会は、「パリ」「ニューヨーク」「東京」という3つのセクションに、「日本の現代作家」というセクションを加えて構成されていました。「日本の現代作家」にラインナップされていた写真家も、清家冨夫、安斎重男、英隆、服部冬樹、三好耕三、小本章、吉村晃、島尾伸三、飯田鉄、柴田敏雄、北島敬三、谷内仙司、小瀧達郎、田中長徳、長船恒利、畠山直哉、普後均、石内都、鈴木清、白岡順、谷口雅、柳本尚規、小林のりお、中川政昭、築地仁、伊奈英次、と、枠組みに捉われない、同時代性に重点を置いたものでした。このセレクションからは、「パリ」「ニューヨーク」「東京」という歴史的文化的な文脈のなかで、日本の写真を位置づけつつ、さらに、日本の同時代にその文脈を開いていこうとする、いち早い試みが感じられるでしょう。
 加えて着目すべき点として、この展覧会のスタッフとして、伊藤俊治、横江文憲、平木収、金子隆一、飯沢耕太郎といった、80年代以降の写真表現で、企画や評論、紹介などの側面から、さまざまなメディアで活躍していく顔ぶれが揃っていることがあります。80年代に写真表現が、外に向かって開いていくためには、さまざまな文脈が新たに提示されなければなりませんでした。この意味で、写真を撮る側にかぎらず、見る側にも働きかけていった評論的な仕事の役割は、けっして小さなものではなかったと言えます。

開かれた写真

 こういった80年代に形作られた、枠組みにとらわれずに、写真を撮ったり見たりして楽しんでいこうとする開放的な文脈は、90年代に入ると、いっそう定着していくことになります。このような動向は、写真表現の在りようを、意識されている部分はもちろん、あまり意識されないような部分でも、変容させていったように思われます。
 開放的な文脈によるこのような変容を、端的に物語る例としてあげられるのは、ヌード写真をめぐる意識の変容でしょう。以前、この連載の3回目で、戦後の開放感と写真表現の関係をあらわしたものとして、「裸婦ブーム」をとりあげました。それ以降、ヌード写真というジャンルは、つねに写真表現の一角を占めてきましたが、ヌード写真を発表することに対する垣根は崩れたものの、そこにはつねに一定の、社会的ないしは自己的な制限があったと言えましょう。もちろん、90年代においてもそういった制限が消えたわけではありません。しかし、その制限のありようが、意識されないような、いわば雰囲気のような部分において、変化していったということは確かなのではないでしょうか。
 例えば、80年前後に「激写」という言葉によって、写真を撮ることのイメージを変えていった篠山紀信が、91年に出版し、大きな反響を呼んだ写真集『Santa Fe』をめぐる現象などに、そういった変化の典型をみることができるように思われます。人気アイドルのヌードを、クリアなイメージで撮ったこの写真集は、ヌード写真という言葉につきまとっていた従来の雰囲気を払拭しただけでなく、ヌード写真を鑑賞する層も広げました。こういった現象は、一方で、ヘア・ヌードなる言葉で語られる、いささかスキャンダラスな風潮も生み出しましたが、他方で、ヌード写真に対する抵抗感を、意識されないような部分において、変化させていったのではないでしょうか。
 違った側面から、開放的な文脈における変容をみてみましょう。90年代には、前号でも言及いたしました荒木経惟が、再び大きな注目を集めるようになりました。70年代に、戯画的に強調されていた荒木の「私」なるものが、ごく自然なイメージとして受け取られていくようになっていったのです。90年代には、“天才アラーキー”という別名から、諧謔的なニュアンスが消えていったことからも、イメージの受け取られ方の変化をうかがうことができるでしょう。
 90年代半ばには、このような開放的な文脈そのものから育まれたような、それまでと趣が違った写真家が登場してきます。佐内正史、大橋仁、ホンマタカシ、そして、長島有里枝、蜷川実花、Hiromixといった写真家たちです。もちろんここにあげた写真家たちが、90年代に生じた傾向をすべて物語るわけではありませんし、彼らの写真も、一概にくくれるものではありませんが、90年代に生じた傾向に通底している雰囲気を、そこにみることもできるのではないでしょうか。
 彼らの写真で、もっとも特徴的なことは、写真表現における個人、ひいては「私」というものを、例えば社会の対立物としてではなく、ごく自然に写真表現の出発点にしていることであるように思われます。写されているものが、身のまわりの物事が多いというだけではなく、そこには、カメラや写真が日常的に身近な環境のなかで育った世代ならではの、感受性がうかがわれるのです。また写されているもののなかには、しばしばヌードもありますが、そこにも何ら気負った部分が見受けられません。言いかえれば、特定の主張を表現するのではなく、気に入ったさまざまなスタイルを、自由闊達に引用しつつ行き来し、自然に混ぜ合わせるという姿勢が、90年代に登場してきた写真家を彩っているように思えるのです。

 

21世紀の写真に向けて

 さて、いささか急ぎ足ではありましたが、ここまでの8回の連載のなかで、戦後の日本写真をみてまいりました。初回に述べました、写真家や写真が相互に影響し合って形作られている文脈を重視して、戦後日本写真史を捉えてみるという目標が、どれだけ果たせたかは、はなはだ心もとないところですが、写真表現の独自性の在りようの変容を、少しでも捉えることができていたことを願うばかりです。
 最後に付け加えておきたいのは、当然ながら、ここまで述べてきた文脈や独自性をめぐる考えも、戦後日本写真史を捉える、ひとつの解釈にすぎないということです。と言いますのも、日本写真史は充分な厚みを持っているとともに、今回触れましたように、日々、社会や文化とともに、変化や転回を続けているからです。社会や文化のなかに充分定着しつつ、さまざまな広がりを持ってきた写真表現は、21世紀に向かって成熟していく可能性をまだまだ孕んでいます。それがどのような方向であるかは、誰にも言うことはできないでしょうが、今日、さまざまな意味でほんとうに一般化したメディアとなった写真において、その可能性が、写真にかかわる一人一人にかかっていることは確かでしょう。
(文中敬称略)