texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #174 2000 autumn:90-91]


 江成常夫氏の『花嫁のアメリカ 歳月の風景 1978-1998』は、78年から79年にかけて取材され、その後『花嫁のアメリカ』として発表された、カリフォルニアに在住する「戦争花嫁」たちを、20年後の97年から98年に再び訪れ、『花嫁のアメリカ』の写真とともに編んだ写真集です。
 単行本や文庫本となって出版された『花嫁のアメリカ』は、ともすれば忘れられがちな、ひとつの戦後の姿を深く想起させ、感銘を与えずにはおかない写真集でしたが、20年後の写真とともにそれが収められた本書は、彼女たちの血を継いだ2世や3世が成長した姿なども登場し、戦後という枠にとどまらず、ひとつの歴史の姿をも想起させる、感慨深い写真集になっています。江成氏は、次のように述べています。
 「戦争花嫁と呼ばれた彼女たちは太平洋戦争の敗北を契機に、時代の不条理を全身で受け止めてきた日本人だった。アメリカに渡ってからもいばらの道を歩み、母国からも忘れられてきたが、そうした負の境遇をプラスに転化させ、日本とアメリカの間に立って“民間外交”の役割を果たしてきた」
 ここに収められた20年の歳月には、ドラマなどという生やさしい言葉では語りつくせない、人間が生きるということの熾烈かつ苛酷な姿が刻まれています。しかし同時にそれは、生きるということの本質的な喜びにも繋がっているように思われます。江成氏が「戦後の半世紀、日本は豊かさを求めるなか、負の昭和を遠ざけ、そうした時代をひたむきに生きてきた庶民の存在を、とかく忘れてきた」、と指摘するように、本書から伺うことができる「戦争花嫁」たちが自らの生で歴史を切り開いてきた戦後は、歴史を忘却するかのような平板な日本の戦後を、同時に照射せずにおかないでしょう。満州や広島などを含め、日本の戦後を問いかけ続けてきた江成氏ならではの視点が光る一冊です。
 エド・ヴァン・デル・エルスケンの『ニッポンだった&After』は、1987年に出版された『ニッポンだった』の新装増補版として出された写真集です。
 1950年代に、プライヴェートな視点から写真による物語を綴った『セーヌ左岸の恋』によって、一躍世界の写真界に高く評価されるようになったエルスケンは、その後、貨物船で世界一周の旅に出ますが、そこで訪れたさまざまな土地の中で、日本は特にエルスケンの心を捉えました。以来、エルスケンは何度も日本を訪れるようになりますが、本書では、はじめの滞在で写された写真をもとに編まれた『ニッポンだった』をメインに、後の訪問で写された日本が加えられています。
 本書で見ることができるのは、エルスケンが「私は好き嫌いのはっきりしている写真家だ。よく釣り合いのとれた、尊敬すべき、調和を重んずる、平均的な市民といった人々はあまりカメラを向ける気にはなれない」と言っているように、剥き出しの混沌とした活力に満ちた「ニッポン」です。それは今日の日本では失われつつあるイメージかも知れませんが、また、今日の日本の原型であったイメージであることも確かでしょう。またそれは、被写体と写真が経験において出会うことができた、好運な時代を思わせるものでもあります。写真表現において、プライヴェートな視点や経験的なものが再び注目されている今日、そのパイオニアでもあるエルスケンによる本書は、多くのことを示唆してくれるに違いありません。
 プライヴェートな視点、経験的なものへの関心という文脈で言えば、ここ数年若い世代からも再び注目を浴びているのが森山大道氏でしょう。
 『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』は、森山氏の1969年から99年に至るまでの対談やインタビューを主に編まれた一冊です。中平卓馬、東松照明、荒木経惟、深瀬昌久といった、現在の日本の現代写真を代表する写真家たちとの会話が収録された本書は、森山氏の写真行為を理解する大きな手がかりになるであろうことはもちろんですが、ある種の率直な日本現代写真史として読むこともできるのが大きな魅力でしょう。森山氏自身も、「数々の対話から伝わってくるものは、当事者たちの会話もさることながら、結局、双方の言葉のはしばしのなかに垣間見える、それぞれの時代とその写真の在りようではなかったか」と述べているように、日本現代写真の一面が臨場感に満ちて伝わってくるのです。
 『Frozen BEAUTIES 日本映画黄金時代のスティル・フォトグラフィ』は、近年、写真家としても注目されている都築響一氏の編集による写真集です。
 本書は、都築氏が、「どう見せたいかではなく、なにを見せたいか、その『思い』の大切さを知るすべてのクリエイティブな人間に贈る、本シリーズは貴重なフィールドワークである」と言う、ストリート・デザイン・ファイル・シリーズの一冊ですが、ユニークな切り口で編まれたスティル・フォトグラフィは、写真表現という視点から見ても、独特な世界を形作っており、とても興味深いものに仕上がっています。
 一言で言うなら、ここに収められたスティル・フォトグラフィの面白さは、徹底的に虚構として作り込まれた映像の不思議な魅力でしょう。写真表現が、とかく現実的なものや経験的なものの生々しさを求める一方で、虚構そのものの中に生々しさを作り出そうとするこうした映像表現は、「どう見せたいかではなく、なにを見せたいか」という、単純にみえて複雑な問いを、私たちに投げかけているようにも思えるのです。