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[矛盾の中でもヴィジョンを持って生きる人間のポジティブな力:秋山忠右『farmer』/日本カメラ2000年4月号:241]


 本書のタイトルは、『farmer』とつけられている。ともすると、あまりに明白なので、見逃しがちなことであるかもしれないが、ふつう私たちが農業者のことをファーマーとは呼ばないことを考えると、このことは意外に重要なことであるように思う。
 本書のもとになっている、雑誌での連載時に、秋山忠右とともに取材した齋藤一夫はこう言っている。
 「日本の農業の実態や実像は、外側からはホンの少ししか見えない。農業の危機がかなり前から叫ばれながら、事態はほとんど変わっていない。…取材してからまもなく、『危機だ、危機だ』といわれているだけで、本当の姿が伝えられていないことに気づいた。客観的に見れば、取材した個々の農業者はさまざまな問題を抱えながら、日々のなかで克服する方法をそれぞれに模索していることもわかった。それでも、彼らは明るく元気だった。われわれはそれに勇気づけられて取材を続けたが、気がついてみると、取材期間は5年間に及び、訪れた先は90カ所をこえていた。本書ではそのうちの68カ所が厳選されている」。
 私たちはふだん、農作物を身近な生産物であるように感じている。しかし、冗談ではなく、「もも肉が歩いている」「切り身が泳いでいる」「落花生が木になっている」と誤解している子供たちがいると言われるように、食物と言えども、それが何なのか私たちがきちんと把握しているわけではない。つまり現代において、農作物やその生産過程もまた、他の生産物同様、きわめて見えにくいものになっているのである。
 このことは同時に、容易にイメージできると私たちが錯覚しがちな農業や農業者を写真に撮るということの、実際の困難さを物語るものでもある。この困難さに、秋山はどのように立ち向かったのだろうか。
 本書を見ていてまず気づくのは、どの写真も実にカラフルで、画面の隅々にまでピントが合わせられていることである。人も作物も風景も、何かのほのめかしとして捉えられているのではなく、まばゆい光の中に、何の影もなく浮かび上がっている。そしてこのことは、農業者の表情にいたるまで、貫かれている。いっけん過剰な演出にも見えてしまいそうなくらい、ここに登場する人々の表情からは、農業という言葉から想像されるようなイメージが払拭されている。齋藤は、こういった方法論について、次のように述べている。
 「当初から危機の実態を生々しく取材しようとはお互いまったく考えなかった。手法としては、そういう方法も考えられるが、それよりもわれわれは、危機といわれているなかでも、現状にポジティブに立ち向かっている農業者に出会うにつれ、その人物像を中心にシンボリックに表現していくという方法をとっていった。回を重ねるに従い、レンズを向けられる農業者じしんの反応も、それに積極的に応えてくれるようになった」。
 本書において、過剰に演出されているようにも見える農業者の姿は、実際には写真家との共同作業の産物と言うべきものであろう。ここには、従来のイメージにしばられることなく農業者を捉えていこうとする写真家のヴィジョンと、ポジティブに未来を切り開いていこうとする農業者のヴィジョンが、見事に呼応しているのを見ることができる。そしてそれは、本書を見る私たちの、農業をめぐるイメージを新たに塗り替えずにおかないだろう。
 ところで、本書のこのような力は、写真表現にとっても、画期的なものをもたらしているように思われる。ここでの写真は、これまでに農業を捉えていたどのような写真とも、およそ異なっているからだ。端的に言うならば、本書では、これまでのように社会的な問題としての農業は扱われていない。それに取って代わっているのは、矛盾の中でもヴィジョンを持って生きる人間のポジティヴな力である。
 『farmer』というタイトルは、このような画期的な視点の変更をも、読者にさりげなく示しているように思えるのだ。